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早池峰大償神楽 稽古の記録

その9 大償神楽招聘公演の記録(1994・3・19)

大償の皆さんの到着を待つ。
3時30分から第1稽古場の準備。
仮設舞台を作り、茣蓙をひいて何時来られてもいいようにして待つ。
やや予定より遅れて第一陣到着。
そうそうたるメンバーである。
佐々木金重会長さん、阿部さん、佐々木隆さんもいる。
荷物をワゴン車から会場に運び込みさっそく舞台をセッティングする。
四隅の柱、注連縄、幣はもちろん、幕、ワイヤレスマイク、スピーカーまである。
見事。
ホテルへも入らずに会場でずっと待機している。
舞台は早く出来上がり、三々五々お茶を飲んでもらうがその時間を利用して佐々木隆さんからお話を聞かせてもらう。

かすみ(神楽衆が番組をうって回っていたナワバリ)を歩いて回っていたのは昭和の十三年頃までで、佐々木隆さんはその端境期頃からやり始めたそうである。
戦争中は途絶えていて戦後再び始まったそう。
かすみは岩手県内。

佐々木隆さんの言葉で印象的だったのは

こんな踊りを誰が思いついて作ったのか不思議な感じがする。
手振り、足振り一つとっても今の俺たちが一つでも作ろうと思っても作れるようなもんではない。
踊りもそのまま受け継いで、変えようと思ってやって来たのではないが、やっぱり変ってきているんではないだろうか。
踊りは奥が深く、どこまでいってもこれでいいという事は無い。

大償の最高の舞い手、第1人者の隆さんにしてこの言葉。
いや第1人者としての舞い手だからこその言葉なのかもしれない。
それも何か非常に意気込んだりして語ってくれたわけではなく、淡々として口をついて出た言葉なのである。

時間があればもっと語ってくれたかもしれないが、公演後すぐ帰られたので懇親会でさらに語ってもらう機会がもてなかったのが残念である。

5時30分になり皆で豚汁とおにぎりと漬物で軽い夕食。
第2陣到着。
栗田さんは残念ながら北海道へ大学時代の同窓会出席のため行ったということ。

6時30分開演。
金重会長さんの挨拶から始まった。
わらび座を大迫町で昔見たこと。
その時神楽を開演前にやってくれないかとお願いされたこと、わらび座との出会いに触れて語ってくださった。
そしていよいよ鳥舞から演目が始まった。
舞い手は当初の予定より人数が減ったので阿部さんの鳥舞である。
雄鶏は吉田伸一朗さん。
吉田さんは女舞に力を注いでいる人で伝習所でもその感じが印象に残っていたが、自分の踊りを作っていると思う。
ところが阿部さんはあまり順調な様子に見えない。(後で聞いた所によると本当に何年振りかで踊ったのだそうだ)
次は翁舞。(佐々木隆さん)
さすがというしかない。
その内きっと物にしたい舞である。
そして阿部雄一さんの三番叟と続きいよいよ山の神舞である。
阿部さん・・・40分ほど踊り通す。
途中舞台が乾燥して滑って苦しそう。
水を口にふくんで霧吹きをして湿らす。
前半は隆さんの太鼓。(金重さんは本当は風邪で本調子ではなかったそうで、太鼓の側に砂糖湯をおいて喉を湿らせながらやっていたが、多分体調で交替されたのであろう)

終演後お風呂の中でのお話によると太鼓を打つ人によって舞いが舞いやすかったり舞いにくかったりするそうだ。
隆さんの太鼓に合わせて踊るのはほとんど無く金重さんの太鼓で舞っていたのでやりにくかったのだそうだ・・・たしかにそう見える前半の踊りであった。

後半金重さんと太鼓交替。
隆さんは水神の舞の準備。
踊りは太鼓につれて佳境に入る。
しかしさすがに苦しさもにじみ出てくる。
なにしろ40分だ。
だがそれを乗り越えて踊りぬく、そこになんとも言えぬ人間の意志というか凄まじいばかりの力をまざまざと見せ付けられたのである。
そして踊り通した力に率直な感動を覚えた。
会場中が支配され尽くした瞬間であった。

やがて打って変わって気品溢れる水神の舞。
隆さんの若々しさが若者の面と衣装とマッチして色気さえ感じさせる。
途中で扇子を落とすハプニングもあったがさすが慌てずにすぐ拾い上げて舞い続ける。(面をつけているのにである)

懇親会での阿部さんの話によると・・・アレはああいう踊りだったのだ。失敗ではなく・・・。

驚くべきことにさっき山の神を舞った阿部さんが手平鉦を打っているではないか・・・脱帽。
後半4人舞になるとやっと金久さんの舞いも見ることが出来た。
2間四方の舞台で4人が激しく舞う。
あっている。
それぞれの踊りが良い。
金久さんもいつもよりりりしく見える。
何と言っても今日のクライマックスは山の神舞、水神の舞だったと思う。
観客も心底から惜しみない拍手を贈っていた。
2時間誠に充実した時間であった。

手早く片付けて、隆さん他三人の方たちは大迫に帰られる。
他の方たちは温泉ゆぽぽに入ってもらってその後懇親会。
佐々木金久さんと吉田伸一朗さんの間で話しながら飲む。

夜の懇親会での中から
 踊りは人のものを見て真似ようとしても駄目だ。
 自分のものを作る。
 (だけれどこのことは、だから自分勝手をやっていいということを言っているのではない)

吉田さんの話
 隆さんの踊りは素晴らしい。
 毎朝ジョギングをやっているんです。
 隆さんの踊りは無駄が無く疲れない踊りだ。

神楽の人たちの踊りを見ていても踊りをそろえるとかはやらない。
各自の踊り方があり、自分の体にあった舞を作っていく。
骨格が神楽であればいいのだろう。
だからと言ってアンサンブルが乱れると言うことではない。
各人の特徴があり、それが見事に調和しているという魅力があるのであろう。

夜二時過ぎて御祝いを唄って一旦しめる。
家に帰り着いたのは夜中の2時30分であった。

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