メニュー万踊衆とはプロフィール活動内容万踊集(舞踊曲集)民舞・ホット情報LINK掲示板

民舞・ホット情報

早池峰大償神楽 稽古の記録

その2 第2回稽古 三番叟は体力の要る踊り

毎週の稽古、水曜日以外に月一回、日曜日に稽古をしているというその日だったので参加させてもらう。
栗田さんと若い印刷会社の同僚の人、先に来ている、準備。
印刷会社の社長をしている保存会の方現れ稽古に入る。
一回目の稽古で当然のことのように受け入れられていると言う安心感ある。
通して踊りつつ、その合間にこまかい所を教えてもらう。
でも大体は”さすがプロ、すっかり覚えたナ”とか”いい、いい”とかしか言ってくれない。
こちらから聞きたいことや教えてもらいたいことがハッキリしなければそのまま終わりそう。
こちらから質問するにかぎる。

カネちゃん現れる。
細かいところを教えてもらう。
口太鼓質問。

三回通しで踊る。
まだまだステップやきっかけの判らない所多い。
歌詞というかセリフが何と言っているのか知る必要があるし、太鼓ももう少し理解しなければ深まらないだろう。

体力の要る踊りだ。
さんざん踊り進んだ後に、うさぎ跳びの状態で踊る部分、しんどい。
さらにその直後、片足ケンケンが来るからなおさらだ。
しかし何とか踊り通せる体力はありそう。
踊りこんでいけば力の抜きどころもわかってくるだろう。

三番叟から神楽に入門するという意味もわからないではない。
基本的なステップが組み込まれていて体力的にも上手い具合にしんどさが配分されていて、神楽に必要な基礎体力も踊りこむうちには自然とついているということになるのだろう。

三番叟を専門に踊り続けてきたというおじいちゃん、見える。
今年の正月の踊り初めで裏三番の道化をやった人だ。
ステップを踏んでくれる。
かなりニュアンスが違う。
真似しようとしていると”やろうとしないで太鼓にのればいいんだ”と、あっさり言われる。
それが出来ない・・・・・・・・。
踊り続けて体に染み込む中からつかむしかないか・・・・・・。

紫波の神楽の踊り手の人、権現舞を教わりにみえる。
私たちを見て、どこの弟子神楽の人だろう?としきりに思っていたとか。
稽古場に祀ってあった権現様で踊っているが、それを指導する阿部さんの持ち出してきた稽古用の頭、面白い。
白木で造った箱型の模型の頭。
よく考えて作ったものだと感心。

佐々木隆さん、踊りの手直しをしている。
素晴らしい踊りであった。


最近神楽を踊り始めた若者二人(私たちとそう違わない時期のようだ)鳥舞を稽古し始める。
ついて踊る。
運転で一緒に来てくれたPさん”・・・まだ早い。三番叟を目をつぶっても踊れるようになってからだ・・・・”
背中に冷や汗。
でも佐々木隆さん、親身になって教えてくれる。

佐々木隆さんの話「三番叟から入るのがいいのだが体力的に大変なので、最近の若い人はどうかという心配もあってまだ動きの激しくない鳥舞から始めることにしたんだ」ということ。

だが鳥舞も三番叟とは違った中腰の強さを持続するきつさがありそうである。

”鞍馬””八幡”などの稽古を見て帰ってくる。

 

三番叟の舞の由来 (2)
(蛭子命の舞)

蛭子の命は、伊邪那岐、伊邪那美の命の御子である。しかるに、この御子は三歳になっても、骨柔くして歩む事も、声立つることも困難であった。そこでニ柱の神々は哀れみ、この御子を葦船に乗せて大海原に流されたのである。しかし命は、地祇の助けを得て魚貝海草の類を饗されて成長し、心は清く優しく、身は剛く、健かに雄々しく成らせ給い、後には農耕の業を知り、漁猟の道に通じ、金銀財宝に恵まれたと云う。これを現代風に解説すれば、命は所謂早生児であってその発育不良は、佝僂病に罹ったからである。
従って三歳になっても起立不能であり、声もたたず、話も出来なかったのである。
そこで神々は、この内陸の地では癒らないと考え、海辺に流し漁民の手をかり、ビタミンDの豊富な魚貝療法となって佝僂病も治ったのである。
この筋書を如何にこの一舞に振付けたか。
(次回に続く)

 

早池峰大償神楽 稽古の記録 表紙ページへ

民舞・ホット情報舞踊家ミッシェル誕生物語抱き返り探索民舞アトリエ
メニュー