音楽は魂のシンパシィ

 私はビートルズ世代ではない。そして16ビート世代でもない。楽器演奏にあこがれたり、かっこいいなどと思って楽器を始めたわけでもない。音楽が楽しいというのも眉唾物かと思う。民族を越えた言語であるなどとも思わない。技法が新しくとも卓越した演奏にも、新しいサウンドとやらにも心動かされることはない。

 つまり、私は音楽が好きなのではないのだろう。音楽をまじめに聞き始めたときも居場所を探して喘いでいるときであった。劣等感に苛まれ、自分を蔑み、自分を認められなかったときお前ばかりではないと唄ってくれたフロイドによって救われた・・そうした原体験が今の自分を作っている。そして自分が聞きたい音楽を自分で奏でるために始めたから誰のためでもない、自分のためにこそ、自分のまわりの人のためにこそ自分は音楽をするのだ・・と、エゴイズムを究めたように音楽に接している。受けなぞ考えたこともないしこれからも考える気はしない。だから、心弾かれるのはどこか心痛む曲、そして魂を癒す曲である。ただ音楽が好きだとか歌が好きだとか言う曲は、聞いてていたたまれなくなってしまう。その中に愛憎合せ持つような苦いものを持ったものでないと、解き放たれない思いというのはあるのだ・・

 音楽は不思議な力を持つ。理解以前に魂に食い込むことがある。そして例え目をつぶろうと否応なしに入り込んでくる。そしてその美しさも哀しさも激しさも、すべて一期一会である。決して同じ音であることは無い。それは例えシンセサイザーであってもそうである。これが音楽の素晴らしさのもとであり、本源的に持っている哀しさである。

 最近、コンサートにあまり行かない・・行ってもお約束の世界ばかりである。一人の人間としての顔が音楽に表れていない。そしてなにより魂に語りかけてくるものがない。そんなコンサートは一時たりともいたくなぞないのだ。そう、わたしはそういう意味では魂の餓鬼なのだろう。

 そんな、極めてエゴイスティックな音楽の世界の一断面を紹介したいと思う。

大地に力を得、宇宙に突き抜ける
セッションは語り合い
技法以前に人間そのもの
表現者
テンション&ルーズ
なぜ民族音楽か
日本の音(正しく伝承されているもの)
心に残ったいくつか


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