心に残ったいくつか

 いまでも、ふと気がつくと口ずさんでいるメロディーがある。まだまだ未熟であったあのころ、毎日毎日、何回もそれこそ1年以上にわたって聞き続けた・・

 誰も濡れたものや白くなったものは着ようとはしないし、列を作って並ぼうとはしない・・だから窓を開け、あなたに向かって呼びかける・・そう、言わずと知れた「エコーズ」の一節である。

 彼らと出会って救われ、彼らと出会ってストラトやプレジッション、そしてハイワットの音を好きになり、彼らと出会ってPAの素晴らしさを知った。決してプログレとして見たことはない。どうしても心惹かれるものとして聞き続けた。だからどちらかというと演歌に近い聞き方だったのかもしれない。いまだにもっとも好きなのはライブアットポンペイにおける演奏で、あのバンドらしさ、ストレートさ、そして歌そのものを気に入っている。

 そして原子心母(とんでもないネーミングではある・・)、あのチェロのソロに続くギターの旋律に惹かれ、これもまた数年にわたって毎日聞き続けた。トロンボーンと電気楽器の意外な相性のよさに気がついたのもこの曲からである。

 以外かと思われるかもしれないが、狂気という作品はあまり好きではない。遥かにWish You Were Hereの方が気に入っている。あのいらだち、あの危うさこそが自分が追い続ける音の一つの形なのだろう。

 The Wallはとっつきはそんなに良くなかった・・特に全体にオペラテックに作られているため、どうしても構えがある。そしてウォータースの匂いがきつかったためか・・嫌いではないのだが・・が、そのテーマは人間の狂気に至る過程に惹かれる自分にとって確かに的を得たテーマであったのだ・・ヘイベビー!社会に滑り出したその足もとにはひび割れが・・と唄う彼らの歌は確かに自分のテーマでもあった。

 ゼップについては、多くを語られている。何を今さらてなもんだ。が、もっとも好きなアルバムは聖なる館とフィジカルグラフティであると言っておこう。座っているその座席ごとごっそり移動させられるようなシンコペーションの快感を学んだのは確かにゼップによってである。もちろんボンゾの太鼓にはずいぶん影響された・・太鼓を始めてまもなくの頃の、ロック'nロールによってずいぶん右足は鍛えられたと思う。後にケルトの音楽を聞くようになって、この頃のイギリスのバンドがなぜロックンロールからロックへと移行したかが分かる気がしたものだ・・そのことを早くから主張していたように思う。また、イギリスの典型的な録音スタイルの一つを踏襲しているので、SRシステムのチューニングに一役買っている。オリビアニュートンジョンやらマライアキャリーのような典型的アメリカンポップスの録音だけでシステムをチューニングすると、イギリス系のCDを再生したときに汚いだけでつまらない音になりがちである。自分の中でのカウンターバランスに良く用いる。

 クリムゾンもずいぶん聞いた・・初期の頃のメロウな奴から段々ジャジーになって・・そして5枚目で大きくソリッドになった。ビルブラッフォードのリズムの影響と、それを望み許容したフィリップ御大の影響が大きいとは思う。RedにてStarlessと唄う曲はハードボイルドな哀しみを感じる。残念ながら新生・・と呼ばれる様になってからのクリムゾンは積極的には聞きたくない・・クリムゾンの技法というか、フォームと言うかそうしたもので成り立っているように思えてならない。確かに脳みそに錐を揉み込むような音は健在ではあるが・・初期のクリムゾンの派生メンバーによるマクドナルド&ジャイルズも、その淡々として音に引かれずいぶんと聞き込んでいた。

 クリムゾンと言えば、全日空が国際線進出の第1期ごろ、北京行きのコマーシャルにポセイドンの目覚めを用いたことがあった。あのCMを初めて聞いた日のことは今でも鮮明に思い出す。実家の店内で夕刻の忙しい時間帯に突然それは耳に飛び込んできた。弟と(私の影響でかこういった音楽がやはり好きなようだ・・)私は一気に顔全体をテレビの方にねじ曲げられた・・(そういう力を感じたということだ・・)。あのイントロの冗長な部分はいっさい切り捨て、グレッグレイクの絞り出すような歌からいきなり始まったそれは、レコードで聞きなじんでいたそれ以上にあの歌の本質を射込んだように思われた。しばし弟とこのCMのことを話し込んだのを覚えている。

 ヒープは評論家にはB級バンドなどと言われているが、自分のバンドでずいぶんレパートリーにさせていただいたこともあって憎めないものと思っている。ジュライモーニングその他の曲をやるうちにリーカースレイク(4〜ライブまでのドラマー)にハットとスネアの位置関係・そしてその音色に学んだ。ディブバイロンのクサ目のボーカルも嫌いではなかったし、感電してから再起することなく亡くなったゲイリーセインのメロディックで且つボトムを押さえた演奏も好きだった。残念ながらSGの何をやっても濁った音は好きになれないが・・

 ジャズは長いこと嫌いだった。というより、アメリカの音が嫌いだったのだ。ブルースであってさえ、暗いビルの谷間のその頭上にはカラリとした青空が感じられて、いたたまれなかったのだ。そしてジャズの場合には特に体操競技的な技術指向があり、これまた私にとってもっとも嫌悪すべき対象であったのだ・・今にして思えば俗に言うバップ系のミュージシャンを特に嫌っていたのだと思う・・そしてジャズ喫茶等での眉間にしわを寄せ、他人を見下ろすような顔をしたスノッブな当時のジャズ愛好家(もちろん全員がそうだったなどとは思わんが)が嫌いだったというのもあるだろう・・が、例外的に早い時期に気に入って聞いていたのはヒューバートローズのパッサカリアハ短調(原曲:バッハ)である。イントロのベースが気に入っていたし、エンディング付近の端正なギターの旋律も悪くないと思っていたのだ。いま、メンバーを見直すと錚々たるメンバーであったことが分かるが・・

 さて、今でもそんなに得意とは言いかねるジャズミュージシャンの中でも気に入って聞いているのはキースジャレットである。ケルンコンサートを初めて聴いたときにはその情念の発露とシュアなテクニックに驚いたものだ・・今でももっとも好きなジャズアルバムの一つである。弦振動が続いているその中に続けざまに叩き込むことによる独特の倍音は他のプレーヤーと一線と画した音色をスタンウェイに与え、その孤高感を際だたせている。

 日本のジャズミュージシャンで一聴しただけで、誰が演奏しているか分かるピアニストと言えば本田竹曠氏か・・何度かご一緒させていただいた。体を壊されてからずいぶんなるがご健勝であって欲しい。

 ジャズと言うには語弊がなきにしもあらずであるが、ソフトマシーンも気に入って聞いていた。7枚目前後ではあるが・・ソプラノサックスと絡むソリッドなリズムが気持ちよかった・・

 マイクオールドフィールドをまじめに聞くようになったのは、長崎にいる同業の友人のおかげである。専門学校の寮で同室になって以来の友人であるが、彼なくしてはエクソシストの音楽を作った人という先入観から逃れることは出来なかったであろう・・実に洗練された音と朴訥さを併せ持った人で、その極致の一つがオマドーンであろう。この作品を最後に大きく作風を変化させはしたが、ブリティッシュトラッドとケルトの伝統を自身の感受性の中で再結晶させたその作品群は私の音世界にどっかりと居すわっている。また、若干ドンシャリで帯域を目いっぱい使った録音は如何にもイギリス的で、ジャズ・アメリカ系のNS-10でチューニングしたのが一目りょう然の作品群とは際だった違いを見せている。そういう意味では決してNS-10は万能ではない・・とくに私が好んで聞くイギリス系の音はあまりにつまらなくなりすぎるのだ・・

 昭和51〜53年頃の年末年始の番組で、国際民族音楽フェスティバルのようなものがあった。その中でモンゴルのホーミー(ご存じであろうか・・もう伝承者も少なくなったと聞くが・・)に併せて床に置く木琴のような楽器の音に魅せられた・・これが民族音楽系に一気に傾くトリガーの役目をしているようだ・・その後、ブルガリアヨーグルトのCMで東欧の音楽に惹かれ、ガムランの響きに惹かれ、私の中に民族音楽がどっかりと居すわってずいぶん長いことになる。

 蘊蓄をたれるのは嫌いじゃないが嫌味でもあると思うし、だから民族音楽はあえて分析的には聞かないことにしている。そう・・どっぷりと浸かるだけ・・そしてブルガリアンヴォイスに背筋に走る何かを覚え、そんな音をずっと探している。

 一つの音を探し、その一つの音だけで歴史も自然も表現し尽くすような饒舌でなく、技巧で圧倒もせず、それを聞いた人が自分の居場所を見つけられるような、そんな音をずっと探している。だから民族音楽に惹かれているのか・・

 そもそもドラムなぞを触るようになったのはあるいはこの人の影響かな?というと、山下勉氏をあげなくてはいけない。やはり中学の頃だったか、あるいは高専に行ってからだったか・・氏のニックメイスンプロデュースのライブアルバムが発売になった。フローティングミュージックと題されたその作品の中のヒロシマにいたく感動し、氏の、間ともなんとも言いかねるタイミングで打ち込んでくる打楽器の音に震える思いがした。また、何か懐かしい響きであるとも感じたのだ・・。そしてまさに日本人の血の音を確認したのである。氏の略歴を見ると若い時分になんと映画「座頭一」の音楽まで担当されておられた。聞き及んでいる音のはずである。私の父は長いこと映画館の仕事をしており、当然私も小学3年までは映画館を自宅のようにして暮らしていたのである。

 自分でもバンドをやるようになり、都下に暮らす様になってから氏の「GO」プロジェクトが発表された。そのライブでの「クロッシングザライン」におけるマイケルシュリーブのドラミングは私の目標としていた音に極めて近く、衝撃を受けたものだ・・やがて氏は出家のような生活を送るようになり、「天地」を発表する。

 この作品中の「いろはうた」は、何度涙して聞いたことか・・生きとし生けるもの全ての業を紡いだ様なこの曲は、すでに音楽というレベルとは異質なものを感じさせた。もはや生き方の根幹に関わる音世界を作り上げていると感じられたのだ・・もっとも弟などは死にたくなるから聞かせないでくれと言うのだが・・

 自分の中にあるいらだち・・どうしても空間を切り裂くような音を求めるこの衝動・・ジルジャンではなくパイステに自分のアイデンティティを求めるのもその孤高の音に惹かれてであるし、どうしてもハムバッカーにはなじめない・・和音よりは一つの音の深みにこそはまる・・これは、やはり血のなす技なのか・・

 近年、琵琶の音がここちよい・・というか、発音の瞬間とそのわずか後で音程も音質も変化する、その不安定な音に惹かれるのだ・・ガムランの楽器もそう・・シンメトリーよりはアシンメトリー・・そんなふうによりもろいものへと惹かれていく・・

 生々流転を繰り返す万物のあり方がそうだからか、消え去るものの一瞬のきらめきに愛着といとおしさを感じる・・

 パープルなどという、バンド小僧の誰もが経過するようなバンドにあって、ブラックモアのいらだちをぶつけるような音だけは惹かれていた・・最近、彼が婚約者と一緒に発表したアルバムを聞いてそのいらだちの一端を理解したように思う・・彼もまた何処かで救われたかったのだ・・


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