ですが、それ以前の記録にも(ごめんなさい。なんだったか忘れました。)、お酒が原因の騒動があったそうなので、"酒"は「日本書紀」以前からあったであろうと言われているそうです。
さて、秋田県内の酒づくりは、1601年(慶長六年)の「秋田家文書」に「慶長三年から五年までの三年分の秋田領内地子銭、麹役・・酒役・・などを算用した」と書いてあるそうなので、このころから酒造りは始まったのでは???と言われています。
特におもしろいのは、藩政時代の酒造業の発展には、なんと、「鉱山開発」が関係していたという話。 1681年(天和元年)秋田藩が幕府に提出した「酒造目録」には、藩内に酒屋は746軒あったと書かれてあり、領内醸造蔵についての「口上書」によると、酒造りは藩の経済特質上重要な産業と考えられていたので、幕府酒造令に対し内々に幕府の了解を取り(ワイロでも渡したのかな?)、酒造業の保護策までとられていたようです。
1896年(明治二十九年)の記録では、秋田県内の酒屋の数は170軒。
明治四十一年には、第一回全国清酒品評会が開かれ、秋田産酒が優等賞に入賞。 また、伊藤忠吉と森川九十郎と言う人が日本醸造協会主催の第一回酒造技術講習会に出席して、新技術の研修、寒地醸造技術を開発し、自家の酒質の向上に努めて秋田県内の酒造蔵に技術を広めたんです。
それから、秋田県醸造史上、忘れてはならない人がいます。
「酒の秋田」と呼ばれるまでには、ざっというとこんな歩みがあったんですね。(^^)
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