第五回 深夜の電話

紀の会社は11月から4月までが特に忙しい。街中がクリスマス気分になったり正月ムードにうかれても仕事、また仕事である。6月がすぎて、真紀は夏休み前に旅行しようと思い立った。

デザイン会社に勤めるデザイナーの真紀と雑誌のプランナーである和也が結婚して4年たった。子供はいない。スレ違いが多い中で二人して休みをあわせ時々旅行をする。
「岡山の近くに、といっても瀬戸内海の島らしいんだけれど現代アートの美術館があるらしいの。ちょっと行ってみようと思って」 と真紀が言う。
「うーん、なんていったっけな、ベネ、ベネ・・・とかいう会社の例のさあ」と和也が思い出そうとしながら言う。
「そうその会社の美術館よ」
「どんな作品があるの、絵?彫刻?」
「現代アートで、工芸が中心らしいわ」と真紀。実はインターネットで今朝、ホームページをみている。
「いっしょに行こう」
「えっ、お休みとれるの」と真紀は念押しする。
「うん、休みたいよ、真紀とね」

 携帯電話もパソコンも置き去りにして東海道山陽新幹線に乗った。
いっしょに行くと言った和也は約束通り、隣の席にすわっている。ただし、真紀は2泊とって岡山を旅できるが、和也は一泊したら大阪にいく予定だ。

 岡山から児島までJRで40分、児島でフェリーにのり直島にわたる。交通機関の接続はあまりよくなく、乗り物に乗っている時間は短いのに、やっとたどりつくという感じだった。
 港からタクシーで美術館につき中に入るとひんやりした建物全体が瀬戸内海の風景になじみ、波の音がBGMになって、アートの空間を作っていた。

 おしゃべりするのを遠慮するほど、静かな内部で、ゆっくり歩いて、一つ一つの作品をみて歩いた。
二人がやっと普段の調子を取り戻して話し始めたのは帰りのフェリーにのってからだった。
「久しぶりに力強い作品にふれたね」と和也。
「そうね、ここからは絶対に妥協しないという決意があったわ」と真紀。
「そうだね、都会の中でこうした作品をみると大きな激しい感性におしつぶされてしまうな」
「海の中に一つ一つ置かれているみたいで、面白いなと思ったわ」
真紀は美術館で貰ったパンフレットを改めてながめてみる。

 往きはあんなに時間がかかると思ったのに戻る時は短時間に感じられるが不思議である。
岡山の駅近くのホテルに入り,着替えると街に出て食事をしスナックにはいり飲んだ。店のママも女の子達も和也と真紀が夫婦だと誰も認めない。子供がいないからかな?と思いながら横目で和也を眺めてみる。女の子達を前にして和也はすっかり持ち上げられ、満更でもない顔して飲んでいる。足元が危なくなりながら、ホテルに戻ってくる。

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 和也の腕の中に入って真紀は目をとじる。直島の風景が鮮やかに蘇る。耳は波の音を聞いている。
「いつかあんなふうな作品、きっと、作れるようになる」
そういいながら真紀は眠った。

 翌日、真紀は和也を駅で送り倉敷に行き、大原美術館をたずね、長い時間を河井寛次郎氏の陶器の前で過ごした。1日中で歩き回って疲れホテルの中のレストランで食事をして部屋に入った時は9時を過ぎていた。
ナイトキャップにいいよといって和也が真紀のトランクに入れてくれたにしき郷を取り出しグラスにつぐ
ウィスキーの水割りを作る時、真紀は水が気になる。旅先では良質の水が余りないからだ。日本酒はわる水が必要はない。最初から造られた土地の最高の水で飲み頃をはかって造られているからだ。口にふくんでその日みた作品を思い返す。

電話がなり、フロントからの“おつなぎします”という声の後で
「僕だ。今、大阪のホテル。仕事は無事に終わって、今戻ったところ」
と和也の声が響いてくる。
「早いのねぇ、誰かと飲むんじゃなかったの」と真紀。
「ああ、誘われたけど、戻ってきたよ」
「どうして?」
「電話したかったんだよ、真紀に」
「・・・・」
「聞いている?」
「うん」
夜はまだ長い。

【言葉にならない想いがある】

  疲れた夜は
  あなたの声を聞きたかった
   楽しかった今日のこと
   伝えてみたいけど
   言葉は上手にでてこない

  あなたの声が聞こえてくれば  優しさによりかかり

  あなたの声に包まれれば
  返事もできない ただ 頷くだけ
   言葉にならない想いがある
   むしょうに声だけききたくて

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