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舞踊家ミッシェル誕生物語

その5 じゃんがら
西馬音内盆踊りに参加してその興奮もまださめやらぬ8月の下旬から同じく盆に踊られるじゃんがらの稽古を始めました。

何?この踊り?
じゃんがらの踊りは腰から吊るした30センチほどの太鼓を叩きながら踊る踊りです。支点となるのは後ろの帯の結び目に引っ掛けた紐と、太鼓に接触している両膝だけです。それなのにかなり大胆な移動をし上下屈伸、その上大地を蹴って踊る踊りです。
ですからなれないうちは太鼓が安定しません。
二つの特徴あるパートから踊りは構成されています。
その一つ目、輪踊りの部分から訓練を始めました。
両膝で太鼓がぐらぐらしないようにバランスを取りながら時計回りに踊り進みます。足を斜め前に斜め前に交互に運びながら、尚且つ運ぶ直前に大地を蹴ります。結果的に太鼓は八の字を描く感じになるのですが、これがまたそのコツを掴むまでが大変難しいのです。
太鼓はこの部分はトントコトントン トコトコトントン を基本として叩きます。歌の流れにそって少しずつ変化していきますがそんなに違いはありません。
が、稽古を始めて間もなくミッシェルの気分がどうも乗らないようなのです。足運びのニュアンスにてこずっていてどうにも流れがつかめないのです。完全に戸惑っておりました。
でも私としては引くことは出来ません。今は葛藤があっても身体で覚えるしかないからです。
後でミッシェルが述懐したところによると稽古始めの感じは「何?この踊りは・・・変な感じ」 だったそうです。
それでも繰り返して稽古をする中で変化が芽生えてきました。
やっと身体に動きがなじんできたのです。
後半の動きに入ってミッシェルも全体の流れがつかめたようで最初の頃のような気持ち悪さは見られません。
後半は居所で踊るパターンなので前半よりスペースの移動は無い代わり太鼓の強弱に合わせた動きの強弱、つまり太鼓を包むように身体を小さくしたかと思うとクレッシェンドしていき大きく反り返るほど天を仰ぐなどという動きのダイナミズムが求められます。
これは余程腰が強くないと有機的な動き、それに伴った太鼓の表現に近づくことが出来ません。
最後までそこがポイントになりました。

ミッシェルが大きく変化したターンニング・ポイント
ミッシェルが少しずつ動きの克服を積み重ね、何?この踊り・・・という気持ちの出発から脱出したのはこのじゃんがらの踊りに込められた内容でした。
ある時にミッシェルに尋ねました。
亡くなった人でミッシェルが一番大切に思っている人は誰?と。
ミッシェルはおじいちゃんと答えました。
じゃ、死んだおじいちゃんのために踊ろうと決めました。
アメリカの日系社会では仏教がその精神的な支えになってきました。苦労した一世、二世にあたるおじいちゃんたちおばあちゃんたちへの思いは殊のほか大きいということはそれまでの太鼓グループの皆との付き合いの中でも感じていました。
ミッシェルにとってもおじいちゃんは大切な存在だった様です。
そこで説明しました。
お盆が来て、これから踊る目の前にはおじいちゃんの仏壇があって、そのおじいちゃんの魂に向かって今年も一緒に踊ろうという思いで踊るんだよ。ミッシェルの後ろには輪の真中に提灯があってそこにもおじいちゃんの魂が宿っている。
ミッシェルの気持ちは前の仏壇と後ろの提灯の中のおじいちゃんと対話しながら踊るんだ、と。
ミッシェルの気持ちはいっぺんに投入されました。
踊りにエネルギーが出てきました。
それからのミッシェルのじゃんがらに賭ける意気込みはすごいものがありました。

踊りながらの歌に挑戦
少し見通しの持てて来た頃から太鼓を叩き、尚且つ歌いながら踊ることへ挑戦を始めました。それまでは歌の部分は私が稽古をつけながら歌っていたのです。歌は歌でミッシェルも稽古はしていたのですがいっそのこと全てを同時にやってみようと計画しました。
これが実現したらすごい力がつくと考えたのです。
これは多分日本人でも難しいことです。
ミッシェルは歌も随分上手くなっていたし声もとても大きな良い声を持っているということを発見したのです。
発音はまだの所がありますが節回しなどは下手な日本人よりも上手いくらいです。
歌いながら踊る。その上太鼓も叩く。何だかミッシェルならやれそうな気がしていました。
そしてやりきりました。
時々踊りが不安定になって上手くいかないこともあったけれど心に染みるような歌になってきたときは本当にびっくりしました。

後半の踊りの構成、フリー部分を作る
基本的な構成は私がつけましたがそれをもとにミッシェルに自由に踊ってもらう部分を作りました。西馬音内盆踊りからの構成創りへの挑戦の一環です。
ミッシェルは現地のビデオを一生懸命見て研究し、なおかつそれまでの太鼓の活動の経験を生かした流れを考えてきてくれました。
とてもリズミックな構成でした。少しアメリカっぽいかな、とも思ったけれどそれが奇妙に合っているのです。
構成に変化がついて見ごたえが出てまいりました。
ミッシェルのじゃんがらについての印象は物の見事に変わりました。
そのときには最も心の投入できる作品になっていたのです。


気持ちがどんどん入っていく中で更に上の段階に進むために要求したこと
日本的な間、ためこみ

踊りはドンドン良くなっていったのだがもう一つ喰い足りない。
それは極めてリズム感がよく気持ちはいいのだが溜め込みが少なく、あっさりした印象を免れないことだった。
インテンポでなくて良いのでもっとたっぷり間を取って欲しいと思うところを指摘してもなかなかそうはいかない。
あたりまえ、そういう感覚がそもそも無いのだ。
そこで大事にしたのが息使いのことだった。
大事な一打を打つ前は音が聞こえるぐらいたっぷりと息を吸う。その吸いきった息を一打に込めてバチの打ち込みに使う。
そうするとかなりインパクトのあるたっぷりした一打が生まれる。しかしそのまま連続はしない。
次の二打、三打は息をグッとこらえて抑えて打つ。今度は心を柔らかくして。
そうするとそこには非常に大きなダイナミズムが生まれる。
そういうことを、気持ちを充実させて自分の感性を信じて、信じたままに演じることで作品全体に大きなうねりのある流れを生み出すことが可能になってくる。
それを何度も演じて見せながら感覚的につかんでもらうことが大事だったと思います。
さすがにミッシェルのキャッチ力は優れていて、その結果とても内面的な、それでいてダイナミズムのあるじゃんがらに更に一歩近づいたような気がします。

理解を超える不思議な感覚の動きから出発して、さらにプロの太鼓奏者としても始めて味わう独特な日本的間の取り方を要求され、それを乗り越えるまで葛藤の日々もあったようですがそんな彼女を支えつづけたのはやはり大好きな太鼓が中心に座っていたからだと後で話しておりました。
発散的で軽快な太鼓演奏のスタイルが中心のアメリカの太鼓演奏 のスタイルから、ミッシェルの中で変化がおこり、巾の広がり深みが増したのではないかと喜んでおります。