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舞踊家ミッシェル誕生物語

その4 越中おわら節と西馬音内盆踊り、羽後町での盆踊りを堪能

ロサンゼルスの全米太鼓コンフェレンスに参加して懐かしい太鼓仲間と再会したミッシェルは沢山の元気をもらい、再び訓練に帰ってまいりました。さっそく稽古再開。
前回あっさりとしかふれていなかった越中おわら節から。

越中おわら節でミッシェルが苦労したこと
なんと言っても着物をきて動く時の足さばき、裾さばきだったでしょう。今までのミッシェルの生活にはまったく無かった世界です。太鼓の世界で活躍してきた彼女は、基本的に足をぐっと開き、ふんばって叩くスタイルが一番自然な身体の状態です。その彼女が最初に取り組む最も女性らしい踊りの中でも代表的なもの、おわら。その美しさは彼女も惹かれるものを感じていました。所が実際に動いてみるととても不自由。なにしろ一歩一歩が足幅くらいしか前に進みません。そして日本舞踊ほど極端ではないけれどある程度下半身をしめて、さらに足をやや内股気味で踊らなければなりません。
ところが踊りながら前へ進み始め足をチェンジするごとにすべてチェックが入ります。各番の極め所がまた一番難しいのです。下半身がきまらないと上半身がいくら良い形をしていても全体がまとまりません。強引に私も手でおさえてあげたり足りなければ足まで使ってミッシェルの足のポジションを修正します。
そんなことを何度くりかえしたでしょうか。踊りの順番、手順は例のごとく覚えるのは何の問題もなく一度稽古をすると次回には彼女の努力もあり、ちゃんと踊ります。ただ一つ足のニュアンスをどうして身につけるかです。その内にもうひとつミッシェルの弱点がはっきりしてきました。それは。

草履がぬげる
多分どこかで共通しているのでしょう。踊りながら途中で草履がぬげるのです。足は前へ行っているのですが草履を床の上に置いて行ってしまうのです。そう何度もあるわけではないのです。でも肝心なときにフッとその現象が出てきて元も子もなし。
聞けば決して草履を履いたことが無いわけでもないようなのです。アメリカの盆踊りなどでは草履で踊っていたようなのです。
足袋を脱いでもらい足の指のチェックをします。五本の指を横に一杯開く。これがなかなかできません。次は足の指をつかって物をつかむ。これはできます。そして今度は素足のまま草履を履いてもらい親指と人差し指で草履の鼻緒をつかんでもらう。ところがこれができないのです。本当に不思議でした。多分草履に足を引っ掛けた状態で踊っていたんですね。でもこれは仕方の無いことだと思います。そもそも生活様式が違っているのですから。
そこでミッシェル用に足指の訓練を考えました。五本の指を開いて閉じる。床を足の指だけを使ってにじり前進する。
それでもこれが身につくのは簡単ではありませんでした。
まだまだ長いこと時間がかかるでしょう。
何よりもいいのは、日常の中で草履を履いている時間が多ければ多いほどいいのです。自然に身についてくるのが。
この出来事を通してミッシェルの草履との格闘が始まりました。
落とし穴は意外なところに隠れていました。

でも大好きな踊り
そんなこんなのクリアしなければならない課題もあったけれど、ミッシェルは越中おわら節が大好きでした。心を内に向け、集中して踊る充実感がとても好きだった様です。何よりも大地の感覚、稲を刈ったり束ねたりの振りが好きで心の寄りどころをドンドン自分で発見していきました。秋田に来て一番喜んだのが、日ごとに変って行く田んぼを見ることでしたから。
ミッシェルの新しい自分の発見だったと思います。
そしてその証明は、アメリカからミッシェルを訪ねてくる友達の反応にありました。
この一年間、沢山の友達がミッシェルに会いに来てくれました。(この方たちの紹介はシリーズの最後の方で特集を組んで紹介いたします)その彼女、彼らたちがみんなびっくりしたこと。これが本当にミッシェル?と。
今までの活発なミッシェルのイメージからとても落ち着いた女らしいミッシェルに出会えたからです。
無理をしてそうしているのではなく本当に心から踊ることと、その踊りを好きでなければそんな風に人を感心させることはできません。




越中おわら節の構成について

さて基本的な踊りが一通り入ったところでミッシェル用に構成をつけました。最初は流し踊りのみ3番までの振りを駆使して八尾四季の曲にあてて構成したもの。これに踊りなれてから二つ目のバージョンを作りました。今度は八尾四季の踊りも間に挿入して。毎日バージョンTとバージョンUを続けて踊ることをしました。ちょっとした気の緩みで手順を間違えてしまいます。これは結果的にただ間違えないと言うことだけでなく高い集中力を勝ち取る上で大変良かったことだったと思います。時間はかかったけれど。
去年は残念ながら宿が取れずに現地の風の盆に参加できませんでしたが、今年は何とか宿泊先の目途も立ち、念願かなって八尾に行くんだととても楽しみにしているミッシェルです。

西馬音内盆踊りについて
西馬音内盆踊りも越中おわら節の途中から稽古を開始いたしました。私の方針で覚えるものはどんどん先に進む、と決めていたからです。ただし覚えたものは踊りつづける、と。
そして必ず復習の時間でそれまで覚えたものは踊りつづけました。ですから最初のものは一年間踊りつづけたことになります。
さて西馬音内盆踊りですがこれまたちょっと特殊な踊りでニュアンスを掴んでもらうのに苦労したのですがこれまたとても大事な踊りになったかと思います。ミッシェルの中には祖先のことや家族のことがとても大きな事としてあり(誰でもそうですが)特に亡くなったおじいちゃんへの思いがとても強くあるようなのです。これは次のジャンガラの踊りで最も強く深くなるのですが、亡くなった人たちと一緒に踊るというイメージへの共感がとても踊りへの思い入れを強くしました。
西馬音内盆踊りは二種類の踊りで成り立っています。音頭という踊りの手とガンケという踊りの手です。音頭は有名な秋田音頭と語り口は基本的に同じなのですが、それににぎやかな独特の囃子がつくのです。音頭もガンケも踊りの手は2番ずつです。この音頭、ミッシェルは意外とスッと覚えました。所がガンケを覚える段になったら何だか踊りにくそうなのです。
ネックはやはり草履、足さばきにありました。
どういうことかと言いますと各番の最後にクルッと回ってカンカンカン(囃子の口しょうが)と極めるのですがどうも草履が足についていかずに草履がよじれてしまいます。私達にとって何の気なしに重心移動、バランスや足の感覚で自然にできていることが上手くいかず結果廻り不足でバランスを崩してしまうのです。その気持ちの収まりどころの悪さが次に影響し、またもや気持ちの悪さを引きずってしまいます。
その悪循環だったのですね。
旋回の稽古をしたり巻き込みの稽古をしたりいろいろやってみましたがそれでもなかなか解決しません。
それが解決したのはかなり後のことです。ミッシェルが自ら解決の糸口を見つけました。
私も迂闊だったのですが廻りに入る前の足の角度を発見することによって問題の大方を解決したのです。
依然として草履の扱いにくさはあったようですがそれでも踊りの中身に集中できるようになりました。
本当に良い体験でした。

西馬音内盆踊りの構成について
踊りが一定入ったところで他の曲と同じように稽古は構成をつけることに移ります。この曲の構成はミッシェル自身に考えてもらうことにしました。踊りも4曲目に入っています。私がつけた構成の体験もしています。色々な体験をもとにサンノゼ太鼓で曲作りをした経験もふまえて更にイメージの広がりを具体的に形にしていく体験をしてもらいたかったからです。
それをやるにあたっては絶対に私のイメージを押し付けることはすまいと決意しました。ミッシェルからアドバイスを求められることはあるだろうからそれには答えるようにはするが出来がたとえどんなであろうとミッシェル自身の気持ちが動いて出てきたものは尊重する。ただし踊り方そのものの出来については厳しく。
ミッシェルは一生懸命考えて創ってきました。登場は普通にすり足で登場。最初の構えに入ります。それが音頭の最初の一振りなのですが本来踊り始めるタイミングよりずっと前にそのポーズを極め、踊りのタイミングが来るまでそのポーズのままキープ。意表を突く入りでした。脱帽。
音頭、ガンケとサークルと直線を使って構成してまずまずの出来栄え。
そして最後は祈りの形で終わるというこれまたこだわりの流れでした。

現地の盆踊りに参加して
西馬音内盆踊りの稽古が始まって間もなく羽後町、現地の盆踊りの時期がやってきました。構成に入る前です。ミッシェルはその盆踊りに参加するのをとても楽しみにしていました。実際に踊りの輪に入って踊ることが出来るようにと猛特訓をしました。音頭は先ほど述べたように何とか行きます。問題はガンケです。出来るだけの手を尽くして送り出しました。
実際に踊りの輪の中で踊ることによって掴みとることもおおいにあると信じていました。
少しばかりの不安もあったでしょう。それでも期待の方が大きかったようです。私は仕事の関係で行けませんでしたが面倒見の良いお姉さん、松橋さんと友達になったわらびッ子の 菜子ちゃんたちと意気揚揚と出かけました。そして心行くまで堪能したそうです。
踊っていると上手だねと見ている人たちが噂していたと菜子ちゃんたちに言われてびっくりしたと嬉しそうに語ってくれました。
地元の盆踊りの雰囲気をすっかり気に入り西馬音内が益々好きになったようです。
その経験が構成を考えるはずみになったのは確かです。
今アメリカに帰っていますが、今年も盆踊りに参加することを楽しみにしてアメリカのツアーから戻ってくるでしょう。
もちろん八尾の風の盆も。