メニュー万踊衆とはプロフィール活動内容万踊集(舞踊曲集)民舞・ホット情報LINK掲示板

民舞・ホット情報

舞踊家ミッシェル誕生物語

その3 民舞訓練開始から第1回発表会まで。

舞台実習も3週間ほどが経過しミッシェルも生活に落ち着きが出てきました。5月3日いよいよ念願だった民舞の訓練が始まることになりました。

基本訓練、筋力強化

それまでに私が外国人に踊りを教えた経験から感じていたことは、生活様式のまったく違う外国人が日本の民舞を踊るとき一番苦労するのが重心を落とすこと、でしたのでそれを解決しないと始まらないということでした。単純に日本の文化に触れて楽しむ、とかいうのなら一つの経験としてエンジョイしてもらえばいいのでそんなことはやかましく言うことはない時もあるけれど、彼女は本物を吸収しようという固い心構えだったのです。まずは最初が肝心なので最も基本的な腰割から取り組み始めました。腰割の訓練とは図のように肩幅よりやや広めに開いて立った状態から腰を落としていき、太腿が膝と平行の位置になった所でストップさせ、それから元の腰の高さに戻す、その単純な動作の繰り返しの訓練のことを言います。


これは結構きついものです。安易に取り組むと膝を痛める可能性があります。これを30回から始めました。そして同じく腰の平行移動30回。斜めの平行移動20回ずつ。そして一日ごとにこれに1回ずつをプラスしていく。体に染み込むまで続けることにしました。さらに足をそろえて直立し、片足の太腿を上げていき腰と平行の所でストップ。高すぎず低すぎず、自分のイメージした高さで止める。これを前、横とやはり訓練の数を増やしていく。
そして腰を上下に移動する垂直運動。
これによってまずは徐々にではあるが日本の民舞に必要な腰を落とす感覚と筋力をつけることをねらったわけです。

ソーラン節

さて基本訓練の取り組みと平行しながら民舞の一曲目は北海道のソーラン節。この踊りの基本は腰割り、平行移動の基本がそのまま生かされていると言っていい踊りです。そういう意味でもとても良い組み合わせだったと思います。ミッシェルは一応ソーラン節はサンノゼ太鼓の時にメンバーのタイラー(自称、アメリカの私の息子の一人)から教わっておりましたのでまったく初歩からと言うことではなかったのですが、それでも私はそれを考慮には入れずに始めました。労働の強い腰の粘りとアクセント、これを平行移動の基本に基づきながら出していくということに最初はとても苦労しましたが、何度も繰り返してその要領をつかむと、とても早いスピードで踊りをマスターしていきました。
なんと言っても ミッシェルが一番苦労したのは目の付け所だったような気がします。踊っている今の振りが何をしているところでそれは何を見ているのか、そして見たことによって何を感じ判断しているのか。そうするとそのことによって気持ちも自然と埋まってくるはず。その対象を見る、ということを理解してもらうことが一番の課題になってきました。
そしてその目の基本は真っ直ぐ前を見つめることが出来るか、ということです。前では私が見ています。それを恥ずかしがらずに、意識せずに真っ直ぐ正面の海を自分で信じて見る。ミッシェルは無意識の内に目を上方に上げる習慣になっておりました。その都度それを修正し、ものを信じて見ているときの目が自他ともに納得いくものになるまでは随分かかったかと思います。
同時に日本語の歌詞を覚え、歌いながら踊れるようにという取り組みも始めました。一つ一つの単語の発音と意味を確認しメロディーにのせていく。発音ではとても苦労をしました。日本語がまったくわからなかったところからの出発で英語風ではなく日本語の発音に近づけるためには、何度も繰り返して私の発音する口跡を見、聞きながら真似をするしかありません。最初はとてもおかしな発音、イントネーションだったのですが彼女の努力も相当なもので一年後には日本語が随分上達しました。
勿論これには多くの人のかかわりがあり、ミッシェルも日常的に日本語をマスターしようとの努力が実を結んだからですが。
ということで日本語が上手か下手かはさておき、ソーラン節の踊りを無伴奏で歌いながら踊るというのは普通男性でも大変なことです。二番くらいまで踊ると息が上がってきます。でもこれは踊りの呼吸を掴むにはとてもいいことと私は信じているので、ミッシェルにもやってもらったわけです。ミッシェルは人一倍大変だったでしょう。言葉と言うハンディ・キャップがあるわけですから。それでも彼女はそれをやり遂げました。その後これはじゃんがらの取り組みにも発展しましたし、何よりもやがて民謡の取り組みで彼女が歌の才能も持っているということに自信を深めていくことにつながったかと思うと嬉しい出発だったと思っております。

手の訓練

腰割りの基本、ソーラン節の訓練が進むにつれて、更に平行しながら手の基本を取り組み始めました。これは日本の踊りのもう一つの特徴は手にあるので、次のじょんから節の準備もかねて開始いたしました。ある時期にはやはりミッシェルから膝の廻りの筋肉の不調を訴えられたこともあり、そういう時には思い切って切り替えて手の訓練だけに集中したりしました。

津軽じょんから節

ソーラン節が一通り目どがついてきた頃から次の曲目、津軽じょんから節を平行して取り組み始めました。
この踊りはミッシェルの感覚に最初からフィットしたようです。テンポが速く発散的で踊りの手順は多少入り組んでいるのですがものすごいスピードで覚えていきました。下半身をしめて腰も中腰で踊りつづけなければならないので最初の頃は少しそれを押さえ気味にして踊ってもらいました。体を痛めてしまったら元も子もないからです。
この踊りが生まれた 青森県の津軽地方の話をしました。歴史、人々の暮らし。岩木山のこと。その話の中からミッシェル自身がアメリカの故郷のこと、家族のことなどに引き当ててこの踊りを心をこめて踊るようになりました。その頃からぐっと踊りが体の中に入っていったようです。同じ頃から津軽三味線を習い始め最初の曲が「どたればち(津軽甚句)」だったこともあり津軽の踊りが大好きになっていったようです。これも掛け声をかけながら踊り始めるとさらに心が吹っ切れたようになりました。
最初は基本に忠実に、リズム、カウントをジャストに取ってもらったのですが、それから更に進んでフレーズを意識してもらい、そのフレーズの中ではミッシェルの感性で間をもったりはしょったりしていいんだよ、というアドバイスが出来る段階に来て自由さが増したようです。それでも音楽ととても良い具合に合っているのです。彼女の持っている音楽性、リズム感の良さに改めて感じ入った次第です。
この踊りはその後アメリカツアーの中で彼女達のレパートリーの中に生かされ、とても評判が良かったと伝え聞いております。

越中おわら節

ソーラン節が安定し、津軽じょんから節が見通しももててきた頃から更に次の曲目、越中おわら節を取り組み始めました。この曲はミッシェルにとってまず最初に大苦戦した曲目となりました。その内容は次回といたしましょう。踊りの手順は入り、ミッシェル用の多少複雑な構成を考え、その稽古までは行ったのですが、発表会で本当に自信を持って踊れるにはもう少し時間が必要で結局次回と言うことにして見送ったのです。

さて民舞訓練を始めて2ケ月弱、6月の25日の午後7時より第1回目の発表会を催し、皆にその成果を見てもらうことになりました。この時期を選んだのはミッシェルがアメリカに一時帰国することになったからです。ロサンゼルスで開催される全米太鼓コンフェレンスに参加するためです。それまで訓練を重ねてきた全ての分野の発表をやることになりました。

第1回発表会

   プログラム

1、琴演奏 長唄 「花見小袖」  2、津軽三味線 「どたればち」  3、民舞 「津軽じょんから節」
4、太鼓 「八丈太鼓」  5、民舞 「ソーラン節」

結構沢山の方たちが見に来てくださって終始暖かい雰囲気の中で感動的な発表会となりました。遠くアメリカから単身日本に勉強にやってきている彼女に対する強い応援の気持ちが常日頃からあったからです。彼女の勉強の意欲。短期間でありながらとても幅広く様々なジャンルに挑戦している彼女の姿に皆びっくりし、また確実に勉強の成果が垣間見られる、そのことに驚き感動した人が多かったようです。もちろんプログラムの進行の中では思わぬハプニングなども起こり、完璧とはいえなかったけれど人間的に受け入れあう環境の中で全力を投入しきった後のミッシェルの達成感は大きかったと思います。