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舞踊家ミッシェル誕生物語

その2 いよいよ日本へ、そして舞台実習。日本語がわからない!

2001年3月31日 彼女からのe−mail
 I arrived safely in Tokyo.
 I will give you a call today when I buy my train ticket.
 −Michelle
いよいよ来日。いざ現実のものになってみると一年間という長い期間、彼女がやりきったという満足感で終えられる研修がはたして本当にできるものか期待と同時に不安がおそってくる。なにしろ始めての試み。心してやり遂げなければ、とあらためて決心する。
翌日、4月T日角館駅にミッシェル到着。多分すぐにでも必要だろうと思える日用品や食料、雑貨、宿泊するわらび座の寮で快適に生活できるように寝具やもろもろなどを妻と一緒に準備をし迎えに出る。改札口を出てくるミッシェルは少し緊張もありながら元気な様子。ホッとする。

さてミッシェルは落ち着く間もなく翌日からは早速あわただしい舞台実習のためのスケジュールにはいりました。私がその時期にはすでにわらび劇場歌舞作品「彩風きらり」の稽古に突入していて一日中フルに稽古をしていたこともあり、もちろんミッシェルもその作品に実習で加わることになっていたので一人でほったらかしにする時間を出来るだけ作らないようにするためでした。
最初のミーティングでまずミッシェルは驚きました。舞台実習のためのステージ数が多かったからです。ミッシェルのイメージは2,3ステージのようなイメージだったようです。でも実際は4月14に初日を迎えると7月までほとんど毎日ステージが続くのです。想像をこえる回数に最初は戸惑っていたようですがすぐに納得してくれました。
わたしのこの実習でのねらいは、ミッシェルに出来るだけ沢山の経験をつんでもらいたいこと。そして日本の民族文化、舞台芸術の現実の姿をまずは頭からではなく全身で無条件につかんでもらいたいと思ったからでした。日本の観客の中で。もちろんミッシェルに力が無ければそんなことは無謀なことでやるべきではありません。観に来てくれるお客さんにも失礼なことになります。けれどミッシェルにはその力があると私は信じていたのです。

早速稽古。曲目はハイヤ節と盆舞の太鼓。そして稔りの打ち囃子の小太鼓。
稔りの打ち囃子は地打ちのリズムを叩くだけなので何の問題もなし。盆舞の太鼓も基本のリズムはミッシェルにとっては何の問題もありません。あとは踊りの構成に沿ってテンポや強弱の変化をつける。これは少し時間をかければ飲み込めることなので心配なし。けれど一番苦戦したのはハイヤ節でした。リズムを打ちだすことは他の曲と同様に問題はないのです。基本リズムがあって、そのリズムを木枠に吊り下げている大小さまざまの太鼓を使って打ち分けていけばいいのです。ただしこれには私のほうから要求して即興的なフィーリングで叩いて欲しいという要求を出したわけです。まずはアドリブでも何でもいいからと。でも彼女にとってこれはとてもプレッシャーを強いることだった様なのです。その上曲の中盤で太鼓の40秒位のソロを自分で考えて作って欲しい、皆が囲んで囃したてるし応援するから、と。

この頃から彼女のストレスがたまり始めたようです。彼女はほとんどと言っていいほどその時点では日本語が話せませんでした。また私達は同じく英語を話せる人がほとんどいません。その中でわかってもらおうと私達は必死で片言の英単語を並べて語りかけます。彼女は理解しようと努力をしますが単語を並べただけのやり取りではほとんど意味不明だったのだと思います。英語で聞き返してくるのですがそれを又こちらは正確にキャッチすることは出来ません。中に含まれる単語から意味を推し量ることのみ。かくて英和辞典を片手にアアだろうかコウだろうかとやりとりする日々が続きました。そのうちに仲間内の演技者の日本語もなんか変な発音になってまいります。日本語の発音が英語風になってくるのです。楽屋では女性陣が着ききりで面倒をみなければなりません。面倒見の良い彼女達はミッシェルがポツンと取り残されることの無いように必死で関わりました。稽古の中でも善意のアドバイスが飛び交います。例によって片言の英単語で。あっちからもこっちからも。ミッシェルにとってこのやり取りで消耗する気遣いと、自由に叩けと言われても何をどうすればいいのか、曲の理解、歌の流れ、踊りの構成などほとんどわかってない中での作業ともあいまってたちまち気持ちがナーバスになっていくのが手にとるようにわかります。が、私も沢山あるレパートリーの全体稽古を進行しなければならないのでそのことだけでずっとミッシェルについて稽古を進めることはできませんでした。そのときに彼女の一番頼みの綱となったのが、ハイヤ節で三味線を引いて一緒に演奏するZさんでした。同じ音楽家だということもあったと思います。それだけではなく困っている彼女の力になりたい、良い演奏を一緒に創り上げたいという思いで本当に細かな気遣いをして彼女に接してくれました。ありがとうございましたZさん。彼女はその後ミッシェルの一番仲の良い友達となり又琴の先生としてもずっと関わることになりました。

Zさん  ミッシェルとZさんの赤ちゃん



さてハイヤ節の太鼓のことですが そんな中でも彼女は努力をしつづけました。楽譜で曲の流れを理解すると分析が始まります。太鼓から太鼓へ受け渡していくリズムのパターンを何種類か決めその中からメロディにあったリズムパターンを合わせていきます。そしてそのリズムの全体の流れを又チェックしていきます。その傍らには必ずZさんが付いていて少しずつ曲全体が見えてきました。
そしてソロの太鼓の部分。いくら自由に叩いて、といわれても無暗に叩いて始まるものではありません 。でも全体の曲の感じがつかめてくるにつれてその方も彼女の作業は進みました。これも彼女はやりたいという幾つものリズムパターンを考えてきてくれました。それを聞かせてもらいドレを山場にするか、その前後の流れをどう構築するか、動きはどうするかなどイメージを一致させることが出来たのです。
やっと余分なことに神経をすり減らさずに後はそのことを深める稽古に集中すればよくなり彼女もどうにか落ち着きを取り戻しました。
とはいえその頃にはいよいよ初日が近くなってまいります。今度はいかにその決めた流れを気持ちよく叩ききるか。しかも三味線と合わせ、歌が入ってきて、踊り手が時にはものすごいエネルギーで交流をしかけてくる。登場は前の曲の終わりから観客の反応を感じて幕内で演奏を開始、歌い手の人が太鼓の枠を押してはくれるものの移動しながら太鼓は打ちつづけなければならない。ソロの前後にも位置移動があり退場も演奏しながら退場していく。ただ単に演奏だけに熱中していれば良いというわけにはいかないのです。当然のことながら彼女がサンノゼ太鼓で演奏してきたスタイルとはまったく違うのです。それに聞いてみると踊りと一緒に演奏するという経験はなく、太鼓をソロで叩くという経験もアメリカ時代にはなかったのです。それでも全てのことにtryし続けた彼女の演奏は、本来彼女が持っているリズム感の良さに裏打ちされて気持ちの良い安定した太鼓になってきました。彼女にとってはまだまだ不安とこんなものではダメという目標の高さがあって満足することは無かったろうけれど何よりもリズムの安定度が抜群でした。

そしてついに初日。緊張のあまり力が出し切れなくてとても落ち込んでいました。端から見るとそうでもないのだけれど。二日目にして彼女もやっと納得いく出来だった様です。
彼女はアメリカ人ではありますが日系人ということもあり見た目は私達と変らず日本人です。ですから観客の皆さんは何の違和感も持たずに彼女の演奏を堪能していたと思います。終演後、ロビーで他の演技者と混じって見送りをする彼女の片言の日本語でアレッと不思議に思った人は多かったのではないでしょうか。そして彼女の演奏が良かったというアンケートを書いてくれる人も出てきたりでこの舞台で演奏する喜びも日ごとに大きくなっていったようです。
本当に舞台での実践ができてよかったと思えます。彼女は結果的に大きな収穫を得たと思います。

その上彼女は実習としてステージで演奏している期間、毎朝早くから劇場に足を運び皆が来る前に一人で稽古をし、レパートリーが安定してくると八丈太鼓や三宅などの稽古も始め、それはそれはエネルギッシュにスケジュールをこなしていきました。勿論民舞の稽古もやがて始まったし、その内には三味線、琴、民謡とレッスンの種類も自ら要求して増やしていきました。彼女の熱心な稽古振りと、簡単には満足しない努力の姿勢はその後も変りませんでした。みならわなくちゃ。
というようなことで、とにもかくにもそのような初日を迎え 公演は順調に進んでいきました。
以下の文章は初日の数日後、ミッシェルがわざわざアメリカにいる日本人の友人にメールを送り、日本語に翻訳してもらったものを私宛におくってくれたものです。

私をわらび座に迎え入れて頂き、本当にどうもありがとうございました。
もっとよく、コミュニケーションが取れればいいのですが、今それが出来ずに残念です。
お伝えしたいことを、アメリカにいる日本人の友達に頼んで訳してもらいました。
コミュニケーション能力を失い、新しい人との出会い、新しい環境の中でこの2週間は、とても大変でした。何かとご迷惑をお掛けしていて、本当にすみません。
あやかぜのプログラムへの参加についてですが、最初は自信がなく、ぎこちなさを感じていましたが、今ではベストを尽くせると自信が湧いて来ました。
自分にプレッシャーを掛けすぎて、ストレスになっていたのです。
木曜の夜の最初の人前でのパフォーマンスでは、緊張しすぎて凍ってしまいました。
その晩、よく考えて、サンノゼ太鼓でやっていた様に、自信を持ってやらなくちゃ。
自分を取り戻さなくちゃいけない。と気づきました。
何もかも落ち着き、今やっと、ここわらび座での居心地も良くなって来ました。
いろんな事に気を取られて、あやかぜだけに集中出来ずにすみませんでした。
とても、ストレスを感じていて、落ち着いていませんでした。
これからは、よい方向に変って行きたいと思います。
がっかりさせていないと いいのですが。
一生懸命頑張ります。
わらび座でパフォーマンスをさせて頂き、本当にありがとうございます。
既に、沢山の事を学びました。
ミッシェル。

さて次回からはいよいよ民舞の訓練の模様を書きたいと思います。お楽しみに。