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舞踊家ミッシェル誕生物語

その10最終回) その後のミッシェル  

さていよいよこの「舞踊家ミッシェル誕生物語」も最終回を迎えることとなりました。勿論ミッシェルとの共同作業はこれからもまだまだ続くわけですが一年間に渡る研修期間、そしてその延長としての今夏までを一区切りとしたいと思います。
そこで最終回として終了発表会後の取り組みを簡単にふれてこの物語の締めくくりとすることにしましょう。

4月、5月の取り組み

津軽じょんから節(中節)とショージ・カメダ君の津軽じょんから節(旧節)の稽古
最終発表会を無事に終えたミッシェルは休む間もなくオン・アンサンブルの仲間クリスやショージたちと一緒に上京しました。
ハワイの大学から来日したマサトを加えて東京でツアーのための集中稽古をするためです。
・・・・・
三週間後ミッシェルは疲れて帰ってまいりました。
結構ハードな稽古スケジュールだったようです。
それでも何日もしないうちに早速稽古再会、津軽じょんから節の中節に取り組むことになりました。
これはミッシェル自身の希望でもありました。
旧節をマスターしたミッシェルはじょんから節をオン・アンサンブルのレパートリーの中で生かした作品を作ろうと思っていたのです。
そしてじょんから節も次のステップへと進んでみたいと考えたのでしょう。
私はいずれ中節も覚えてもらいたいと思っていたことなので喜んでそのリクエストに応えることにしました。
中節は旧節にくらべて移動のステップが沢山入っていてそのニュアンスを掴むのに若干苦戦いたしました。
全体の流れは旧節をベースにしてあるのですが、それより多少手数が増えニュアンスも微妙に変化するのです。
そういったちょっとした違いへの対応と言うのが実は一番難しいことなのですね。
例によってフレーズごとに細かく手順を確認しながら各番を当っていきます。
そして一応通して踊れるようになった段階で、ちょっと意地悪なような感じもしますが旧節、中節を続けて踊るのです。
これがなかなか上手くいきません。
切り替えがなかなか上手くいかないのです。
完全に体に入ったかどうかということがそれで判ります。
何日間かジレンマにさいなまれる日を送るうちにある日フッとそれが解決する日が来るのです。
その日になって初めて踊りが体に入ってきたという実感を持てたミッシェルは、その後若干集中力の途切れた時はミスをすることがあっても基本的にどちらも踊りきれるという自身が湧いてきて気持ちも開放的になってまいりました。
それに伴ってこれは私の踊りという思いが深くなっていったように思います。
それには実はショージ君とのいきさつがあるのです。
上京している間、ミッシェルは他の3人にじょんから節を手ほどきしていました。

ショージ秋田へじょんからを習いに来る
5月に入っての10日、東京からショージが再び秋田へやってまいりました。
津軽じょんから節を勉強するためです。
さっそくミッシェルが手ほどきした踊りを見せてもらいました。
想像していた以上にショージは上手に踊って見せてくれました。
ミッシェルは上手く伝えられなかったと不満のようでしたが、大事なところはそれなりに押さえていたので正直なところ安心しました。
何よりもショージの踊りへの臨みかた、じょんから節との気持ちの上での隙間の無さが気持ち良かったのです。
もちろん多少太鼓で鍛えた手は無骨だし、踊り方はまだ随分大雑把ではあったけれどミッシェルと同じように体の中でリズムが流れる、それに逆らわないと言うのが最大の魅力でした。
ショージはじょんからに本当に入れ込んでおりました。
聞けばミッシェルの発表会で津軽じょんから節を見た瞬間に「あっ、これはオレの踊りだ!」と思ったんだそうです。
そういう感覚というのを(大げさに言えば)踊りとの運命的な出会いとでも言うのでしょうね。
そういう出会いができるというのは本当に素晴らしいことなのです。
そういう思いが溢れているのでこちらからの指摘もどんどん入っていきました。
愛するエミ(奥さん)のことを思い、故郷のマウント・シャスタのことを思って一生懸命踊ってくれました。
たった三日間だったけれど熱い稽古の日々でした。
と言うようなことで旧節はショージの踊りになり、ミッシェルは中節にかけたのではないかと思われるのです。

海のチンボーラ
ミッシェルの踊りも曲数を重ねてきて、私は何時かは沖縄の踊りも教えてやりたいと思っていたのですがこの機会にやってみようと決心しました。
曲目は「海のチンボーラ」チンボーラとは沖縄の海に生息する巻貝のこと。
その巻貝をとりにゆく娘達の様子を踊りにしたものです。
とても愛らしい踊りなのです。
でもやっぱり沖縄の踊りは難しい。体がしっかりできていないと一つ芯が通らないのです。
この経験が沖縄の踊りへの挑戦の始まりとなったということで今回はよしとすることにしました。
ちょっとやそっとではものにできるようなものではないと。
いつか次のステップへのぼる機会を準備して、経験を積んでいくことにしよう、と思います。

8月から現在まの取り組み
海のチンボーラ、津軽じょんから節中節を仕上げて5月の末にはミッシェルはアメリカへ旅立っていきました。向こうでのツアーのための稽古と公演、約2ヶ月間のアメリカへの帰国でした。
・・・そして日本に帰ってきた8月は、いよいよ徹君との結婚式が・・・。
これはすでに特集でお知らせしておりますね。
その結婚式が終わって数日後からまたまた稽古が開始されたのです。
本当に稽古熱心なミッシェルです。

佐渡おけさ
次は何をやるかそれなりに考えました。そしてたどり着いたのが「佐渡おけさ」です。
やはり日本の民舞の、ある典型的な作品を一通りは体験してほしかったのです。
越中おわら節などと並び賞される民謡踊りの代表格ともいえるでしょう。(この基準はあくまでも私見なのですが)
おけさの基本をやった後ミッシェルと徹君のデュエットを想定しての構成をつけました。
違った方角から登場した二人が出会い、一緒になって踊り戯れ、二人そろって同じ方向に進んでいく、というとてもシンプルな流れです。
ミッシェルと徹君の出会いと、人生を共に生きていこうとして歩みだした生き方をイメージしたのです。
おけさの手で登場し途中のデュエットは新潟おけさの手になり、また二人そろっておけさの手で退場していくのです。
時々私が徹君を想定したポジションを踊り、イメージを掴んでもらう。
何時か徹君がこの踊りを覚え、ミッシェルと連れ舞をする日を夢見ています。

黒石よされ節
佐渡おけさの構成がミッシェルに入った頃から黒石よされ節に稽古は進み現在にいたっております。
この曲は来年に予定されているアメリカでのワークショップの曲、4曲の中の1曲です。
突然アメリカのワークショップという話が出てきて、それは何?と思われたかと思いますが実は来年2ヶ月ほどのアメリカツアーを計画しているのです。
日本の文化を体験したい、民族舞踊を覚えたいと言う人たちを対象にした踊りのワークショップを予定しています。
黒石よされ節はその中の一曲に予定しているのです。
という事もありあらかじめミッシェルにも覚えておいてもらい、私のアシスタントを勤めてもらおうということ。
それだけではなく、黒石よされ節のような踊りをアメリカ人はどのように感じるのか、楽しめるのか、様々な事前の感触が欲しかったので教材として取り上げたわけです。
この踊りは絶対に踊る楽しさを味わってもらえる踊り。
何故なら、この踊りは踊っていると体の中から何時の間にか喜びが沸き出てくる、そんな踊りだからです。
案の定最初「難しい・・・」と言っていたミッシェルもこの頃では大好きになったようで体が乗ってきています。

ミッシェルは今年の年末にはアメリカに帰ります。
もちろん愛する彼氏が秋田にいるので何度も行き来するわけですが、来年1月にはUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に再度入学する意志をもって帰るのです。
1月にそのためのオーディションがあるそうで、専攻は太鼓と踊りの融合した新しい分野の開拓を目指しているのです。
もしそれに受かると来年秋から入学という運び。
いいなあ、若さゆえの挑戦・・・と、うらやましい限りです。
これまでの日本での研修がその大きなジャンプへのベースになることをただただ祈っております。
その年末までの期間、ミッシェルは10月には小旅行を計画しているので、残すは後わずか。
それでも あと何曲か当ることができるか、と最後まで関わっていこうと思うこの頃です。

長い間読んでくださった皆さんに感謝いたします。
さて次なる特集は?
しばらくしたら違った特集を掲げて当ホームページで連載を始める予定です。
どうぞお楽しみに!

 

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