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民舞・ホット情報

舞踊家ミッシェル誕生物語

その1 彼女が日本で民舞の研修を実現するに至った経過

彼女は日系4世でアメリカ、カリフォルニア州のサンノゼ市から来た27歳のプロの太鼓奏者です。
1998年に私はアメリカの中でも3番目に古い歴史をもつ太鼓グループ、サンノゼ太鼓の25周年記念コンサートの振り付けをすることになりました。
これはその前年の正月にわらび座のアメリカ・ツアーがありまして、私もそのツアーの一員だったということが発端でした。
アーティスティック・ディレクターと演技者を兼ねて参加した私は多くの方たちと感動的な出会いをしました。
その時一番仲良くなった人たちがサンノゼ太鼓の人たちだったのです。
サンノゼ太鼓の中心メンバー、ROY・HIRABAYASHI,PJ・HIRABAYASHI ご夫妻、そしてYUMI・ISHIHARAとは兄弟のような親しい間柄になりました。


そしてツアーの中でアメリカにおける日系人の歴史を熱烈に訴えかけられたのです。
4月からNHKの朝の連続テレビ・ドラマで「さくら」が始まりましたがまさにあのドラマそのものの内容が切々と語られました。
そしてその日系1世2世たちのたどってきた歴史を踊りにしてコンサートで上演したいので力を貸して欲しいと申し込まれたのです。
私は彼女達の人柄と熱意に感動し、この人たちと一緒に仕事がしてみたいと思いその仕事を引き受けました。
その時にはミッシェルはまだサンノゼ太鼓のメンバーではありませんでした。
ツアーが終わり、やがてサンノゼ太鼓のコンサートの振り付けで再びサンノゼを訪れたときに彼女とは始めて出会いました。
彼女は大学を出てサンノゼ太鼓のアーティスティック・メンバーとしてその後に加わった人でした。
大半の人たちにとって日本の民舞は初めての経験でした。
稽古が進む中で彼女にも踊りのシーンで大事な踊りをやってもらうことになりました。
神楽を元にした扇子の踊りです。
1世の人たちが農場で植えた農作物が成長していく踊りです。
始めて使う扇子、そして見たこともない動き。
すごい戸惑いがありありと見えました。
一緒に踊る他の二人は多少なりともそれ以前から日本の踊りの経験はあります。
彼女の気持ちにかかる負担は多分すごいものがあったと思います。
それでも彼女は頑張りぬきました。


不安と自身のなさをかかえながらも先輩2人と同格に頑張っている彼女の姿は胸をうちました。
私はめげそうになる彼女を励ましながら何回かのアメリカでの稽古をつみ、それはそれは感動的な25周年の記念コンサートを無事に終えることが出来ました。


彼女の中になにか残ったのだと思います。
別れを惜しみつつ再会を約束して別れてから9ヶ月後(1999年6月)ミッシェルが秋田の地を訪ねてきました。
日本語がほとんっど話せない彼女が始めて体験する日本の旅、そして東北の地。
彼女にとって大変緊張した冒険の旅だったことでしょう。
わらび座の環境と出会う人たちの暖かいふれあいに感激した彼女は、ここで一年間日本の踊りを勉強したいと心に決めたようです。
「私はここで勉強してもいいですか」
彼女の熱心な申し出に私は何とかして応えてあげたい、と思いその場で「いいですよ」と答えておりました。
彼女の太鼓奏者としての実力と、可能性を感じていた私は、それに日本の民族舞踊の体使いと民舞の心がプラスされたら太鼓奏者として、今までにないスタイルの活動が切り開けるのではないか。それはきっとアメリカの太鼓グループの中でもユニークな活動へと展開していけるほどの大いなる可能性を持つのではないかと思ったからです。
次回へ続く。