旧音響システムの概要

ミキサー

12in6Groop2auxout、但し、現代のミキサーの感覚で物を言ってはいけない。この12in以外のサブの入力が何もないのだ。カセットを使っては2ch取られ、レコードを使ってはさらに2chとられ、エフェクトリターンで2ch取られ(これはまぁ、現代の多チャンネルミキサーでは非難されるべきことではないが・・)残る6chで、ステージからの入力をこなさなければいけなかった。当時の専任者がならばと当方に相談なく購入したサブミキサーは、あろうことか民生用のアンバラフォーン入力しかない8in-2outのミキサーだったのである。

おまけにSNは良くないし、EQは3bandMidParameの効きの甘い奴だったしGroopの5-6は受けが無かった・・つまりGroopモジュールが無かったのである。加えてモニターモジュール成るしろものの中に15Wという貧弱なアンプが内蔵されており、これでアルティックのMINI3Aと言うあまり能率が高いとは言えないモニターを駆動していたのである。このモニターは最低でも100Wクラスのアンプが必要なことは自明である。案の定、制動の利かない明瞭度と音像のぼやけたメーカーとしては不本意であろう音になっていた。

しかも、このミキサー、私が赴任した年にディスコンしたのである。

ワイヤリング

旧劇場用システムの共通の欠点として信号の♀だし♂受けという厄介な問題があった。

つまり、外部業者の設備と接続しようにもいちいち変換せねばならず、自分の機材を持ち込もうにもやはり同様だったのである。

また、舞台とミキサー室を結ぶ回線数が不足しており、下手16回線(うち8回線のみマルチで延長可能、しかしコネクタ盤側はFK-37で、8回線しか結線されておらずボックス側はFK-27というたわけたものであった。

マルチ回線はそれのみで、あとは2chずつのマイクコンセントボックスと称するくだんの奴が下手大臣柱に1、舞台床に3、上手大臣柱に1、緞帳後ろに2、簀の子に単独で3回路、たわけもんの舞台全面床下の排気ガラリ奥に4回路(こんなもんどうやって使えっちゅうんじゃ!)

田舎の出し物の常として大概の催し物がアラカルト的である。つまり、式典あり講演会ありアトラクションありっと、何でもかんでも種類を揃えれば良いという乗りですな・・となると、演台の位置などマイク位置はことごとく移動する必要があり、当然舞台床のコンセントなぞ使えたものではない。すると舞台床分の6回線も使用不能であり、実に情けない回線数しか確保できなくなっていたのである。

しかも、パッチ盤と称する舞台の絵を彫り込んだエボナイトパネルに110を配置したものがあるだけでミキサーの通常のキヤノン入力は無かった。もちろんフォーンも・・

この110たるや真鍮ムクだけあってすぐに腐食するし追加しようとすると高いし、通常のケーブルを結線するにめんどくさいし・・わざわざこのために他に持っていきようのないケーブルを作らざるを得なかったし・・

さて、何よりの問題は、ミキサー室の中でさえケーブルを毎日造り続けなければ機材の接続も出来ないほどにシステムが閉鎖的であったということである。つまり、何処も触るな!という思想の作りだったのであろう。

ミキサー室モニター

私の赴任時はモニタースピーカーは側面に貫通穴をあけボルトで縦に3台結合した状態で設置されており、ミキサー室後壁に立ち上がらなければツィーター軸線で音を聞くことはできなかった。これは自力で吊り下げ金具を制作し、なんとか使えるレベルにはしたのだが・・mini3Aというスピーカー自体、モニター用途というよりはリスニング用途であるように思われる。

アンプ

ミキサーアウトはいかなるパッチも経由せず直接アンプの結線されている。よって、本線系のエフェクタを挿入する余地はほとんど無い。ホールメイン系のサイド、プロセの3系統には1/2octタイプの古いインダクタンスタイプのグライコが入っていたが、これまたラック内にビルトインされており、ミキサーとの間は直結であった。

また、構内放送用のハイインピーダンスアンプがトーンゾイレタイプのスピーカー駆動、ステージフロント用、そして館内放送用に用意されていたが、同じアンプがアウトプットトランスをバイパスする形でメインのローインピーダンススピーカにも用いられていた。このなんの役にも立っていない高価なアウトプットトランスは誰がその金を支払ったというのだ・・

アンプ自体はピークインジケータが付いただけの至ってシンプルなものでしかもモノラルであった。入力ジャックは唯一バランスフォーンと呼ばれるもので幸いなことに入力ジャックはパラで2ケついていた。

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