安原さん稽古記録

2006年6月19日 〜8月20日


西馬音内盆踊りを踊り楽しんだ安原さん

カナダに住んでおられる安原嘉代さんが民舞集中レッスンのためにはるばる秋田に来られてから早いもので2ヶ月間が過ぎ去ってしまった。
彼女はカナダのモントリオールという町でカナダ人の旦那さんと暮らしている方だ。
仕事はツアー・ガイド。
日本からの観光客相手にカナダの名所、旧跡、歴史を説明しながら案内する仕事だ。
その観光シーズンは秋が最も盛んだという。
何しろカナダの紅葉はスケールが大きいそうでそれを目当てに沢山の人が押しかけるのだそうです。
そのオフ・シーズンと私のスケジュールとを調整して今回の稽古日程が決まった。

そもそも彼女と知り合ったのは昨年のアメリカ・カナダ・ワークショップ・ツアーであった。
カナダで唯一ワークショップを開催してくれた太鼓グループ、嵐太鼓。
彼女はそこのメンバーだ。
そのことについては当ホームページのツアー報告で詳しく触れているのでそれを参考にしていただくことにして、帰国後しばらくしてから彼女からeメールで問い合わせがあった。

私にとって民舞を愛する人の成長と関わりあえるのは願ってもないことでしたので大歓迎したのはもちろんのこと。
心待ちにして準備しておりました。
だいぶ早い時期からその打ち合わせは始まり彼女のホームステイ先を交渉し、カリキュラムを組み、そしていよいよ本番を迎え、ついに終わってしまったのです。

この2ヶ月間で彼女が習得した曲目は7曲になりました。
本格的な民舞の経験は昨年のワークショップが初めて、という彼女にとってかなり強行なプランだったと思いますが、必死で喰らいついてきてくれました。
遠いカナダから度々来日することが簡単に出来るわけでもない事情を考えるとこのチャンスを最大限に有効活用する責任が受け入れた私にはありました。
それだけに私はどうしてもやらなければならない仕事以外は彼女の稽古にすべてを当てる覚悟で取り組みました。
途中私が主催する「あったかコンサート」が7月9日にありましたので、その時期だけはコンサートに集中させてもらいましたが。
結局そのコンサートでは彼女は舞台監督として私のコンサートのお手伝いまでしてくれたのです。
彼女がいなければ私の負担は予想以上だったと思いますが、本当に大感謝です。
ありがとうございました安原さん。

またこの民舞の勉強はただ踊りを覚えるだけではなく、覚えた踊りを見てもらう、様々な人の目に触れ実際に交流することによって自分の踊りを検証する場も設けようと考えて様々な機会を作りました。
それも大変良かったと思っております。
このことによって秋田に沢山のお友達もできました。

また丁度東北は芸能の盛んな時期であったことも幸いして盛岡のさんさ踊り、北上芸能祭り、西馬音内盆踊りなどへ積極的に足を運びました。
収穫大だったようです。

彼女が挑戦した曲目は
  1、そーらん節
  2、越中おわら節
  3、津軽じょんから節
  4、古代神
  5、さんさ踊り
  6、西馬音内盆踊り
  7、秋田おばこ
の7曲。
月曜日から土曜日まで炎天下の中片道30分弱をかけてホームステイ先から我が家に通い続けてきました。
彼女はハワイのホノルルマラソンに2度も挑戦したこともある粘り強い方です。
嵐太鼓の仲間も持久力はあるから・・・と太鼓判を押すだけの粘り強さです。
覚えるペースはとてもゆっくりで短いフレーズを何度も繰り返し、繰り返しして身につけるタイプでしたがその努力には本当に頭が下がりました。
まさに持久力の戦いだったと思います。
レッスン期間が終了する間近になっての稽古最中には「なんでこんなに覚えが遅いんだろう・・・」というジレンマに涙を流しながら踊る場面もありました。
でも時間をかけると踊りのニュアンスがふっと変わり「おっ良い踊りになったな」という段階を迎える・・・その繰り返しでもありました。
そんな時は彼女が日本の民舞を勉強したいという熱意に駆られて今回のような勇気ある行動を起こしたその根拠がわかるような感銘を受けたものです。
教えてきてよかった・・・私も大いに学び続けてきた2ヶ月間だったと言えるでしょう。

現在ポートランド太鼓で指導的な立場で頑張っているミッシェルは私がわらび座在籍中から続いたいわば最初の師弟関係。
文化庁の招聘研修員という肩書きを取得することができ、恵まれた条件の中で存分に研修できたケースです。
ハワイから年に一度必ず訪れて来てくれるミッシェルは一週間から長くて10日の稽古期間を数年かけて積み上げてきた関係です。
今回私にとっては新しい試みともいえる取り組みでした。
すべて自力でこのチャンスを計画し、実行した彼女。
それが無事に終了したこと・・・責任を果たしえたこと本当に嬉しく思っています。
きっと彼女によってカナダでも日本の民舞が広がりを持って行くだろうことを想像すると、心の底から喜びが湧いてきます。

6月19日の早朝、前夜横浜を深夜に発った夜行バスが角館町についた。
迎えに出た私は約一年ぶりに元気にバスから降り立った安原嘉代さんと再会。
一旦我が家で朝食をとってもらった後角館、西木、田沢湖見学に出発。
後で気がついたことであるが、これは彼女にとってちょっと過酷なスケジュールだったようだ。
何しろ窮屈な夜行バスに10時間近く閉じ込められながら、またまた車で走り回っていたのだから。
それでも文句も何も言わずに私の説明に耳を傾け続けてくれていた彼女の粘り強さはもうすでに始まっていたのかもしれない。


田沢湖畔龍子姫の像の前で

[そーらん節」

その日の午後から早速訓練開始。
まずは基礎体力作りもかねて「そーらん節」から。
これは嵐太鼓メンバーから絶対覚えてくるように・・・という使命も帯びていたものだ。
踊りに入る前に腰割り、重心の平行移動、太ももをしっかり上げて止める訓練から始めた。
腰を深く落とす、また踊りに必要な筋肉をしっかり使うということを意識化して欲しかったからだ。
各訓練パターンを30回繰り返すことから始まったのだが、一日ごとに1回ずつプラスしていくことにした。
そーらん節は比較的イメージが持ちやすかったこともあってか他の曲に比べると比較的順調に行ったかもしれない。
そーらん節で一番苦労したことは踊りで表そうとしている労働の対象物と具体的作業との関係をリアルにとらえるということだった。
その緊密な関係をしっかりとイメージすること、それがどのような合理的な動きで表現できるかということを理解しなければ本当の意味で生きた動きは生まれない・・・ということを知って欲しかったのです。
その為に目線をどう定めるかが物凄く大事だということも。
この目使いということは私が一番大事にしていることの一つです。
結局これは最終曲まで言い続けてきた最大のポイントとなった。
そーらん節の訓練でもう一つ取り組んだのが歌いながら踊ることです。
そのためにはもちろん歌の稽古をした訳ですが、それを覚えた暁には歌いながら踊ることに挑戦。
最初から全部を通して踊るのは大変だと思ったので初日は一番だけを歌いながら踊る。
一日ごとに番を増やしていく。
結構きつかったと思いますが頑張りぬきました。

 

「越中おわら節」

そーらん節とは打って変わってとても整然とした踊り。
極端に言えばそーらん節はエネルギーを発散させて一生懸命頑張って踊れば、それでもある程度自分も見てくれた人も喜びを共有できることもある。(もちろんその段階を良しとして言っているのでは無い)
だがこの曲は体のまとまりがないと絶対に踊れない曲。
最初にぶつかったのは手のこと。
日本の踊りの特徴ともいえる手の美しさを出すために踊りの手にすることでした。
四本の指をそろえ、親指をその中に隠し、手首をちょっと持ち上げ、指をそらす。
彼女の手は普通にのばすと真ん中の部分がやや盛り上がって(つまり第3関節の部分が平らになりにくく)中々そらないのです。
そして親指を4本の指の裏に隠すということに慣れるのが大変でした。
その為に美しくしなやかな使い方が出来るように手の訓練だけをやったりもしました。
下半身は日本舞踊ほどではないけれどやや内股がかった使い方をします。
そうしたことに慣れて踊れるようになるまで本当に繰り返し繰り返し踊り続けました。
覚えたのは「豊年踊り一連、つまり素踊り、宙返り、稲刈り」の基本的な踊り方です。
流れが少しずつ体に入ってきた頃を見計らって安原さんがカナダから持ってきた浴衣を着ての訓練、それにまた慣れた頃から笠をかぶって・・・と徐々に総合的な訓練に入っていきました。
4分30秒くらいの越中おわら節の曲に合わせて、舞台をイメージして自分で踊りの構成を考える・・・というのが最終的な彼女に課した課題。
曲の分析を一緒にし、その上でどのように踊りを構築していくかという方法を簡単に説明しながら一晩かけて自分で考えて来るようにしたのです。
翌日若干のアドバイスはしたものの彼女が考えてきた構成をほぼそのまま生かし構成稽古が始まりました。
自分が考えた構成とはいえやはりその構成の流れにそって踊り通すというのは中々至難の技。
それから更に倍近くの訓練期間が経過しました。
その努力が実って最終的には彼女が一番安心して踊れる踊りになったかと思います。
彼女のために組んだパフォーマンスではこの曲は無くてはならない曲になったのです。

 

「津軽じょんから節」

3曲目は青森の代表的な手踊り、津軽じょんから節でした。
これまた手の使い方でとても苦労したと思います。
何しろ同じ手の美しさとはいえ越中おわら節の手使いとはまったくニュアンスが違います。
4本の指をそろえ親指をその指の裏に隠す・・・これ自体は同じなのですがそれを手首から厳しく折り曲げるのです。
裏側にも表側にも。
そして下半身は何時も腰を落として踊る。
踊りの手順は越中おわら節の整然とした感じとはまったく違い激しく四方に切り替わります。
多分7曲の中では最後まで苦労した踊りだったと思います。

訓練方法としては踊りの手順と踊り方が飲み込めてきたらその踊りを踊りこむことを継続しながら次の曲に入って行く・・・という方法をとりました。
ですからこの時点では、そーらん節の復習と時には基本に立ち戻ったりしながら越中おわら節の構成稽古、そして津軽じょんから節の訓練開始という毎日でした。

日本の踊りはその地域ごとに踊りの特色が違います。
もちろん共通した技術的な側面もありますがそれ以上にその違いが濃厚に表れているのです。
それはその地域の風土的なもの、生活習慣、人々の気質の違いなどから来るものかと思います。
ですからこの時は青森、つまり津軽という地域について沢山語りました。
そのことがあってかついに彼女は岩木山山頂まで登るという大冒険までやり遂げてしまったのです。
(8月のお盆の時期3日間ほど関東におられる御家族と一緒に東北旅行を楽しんだ時のことです)

津軽の手踊りは強い精神に裏打ちされてきびきびと激しく踊るものが多く、このじょんから節はその代表的なものの一つです。
特に旧節ですからシンプルでテンポが早いのです。
それだけに勢いでゆとり無く踊ってしまう危険性をはらんでいます。
ですから訓練期間も押し詰まったある時期からあえてテンポを落として流れ、振り、体使いを確認する作業を始めました。
そうしたときには腕も伸び、手も決まりとても良いのです。
そのゆっくりのテンポで稽古している時と元の速いテンポで踊る時のギャップを埋めるにはもう少し時間が必要だったでしょう。
何度かパフォーマンスでは津軽じょんから節もプログラムに組み込んだのですが、プレッシャーも加わってか完全に踊りとおすことはできませんでした。
今後の彼女の頑張りできっと自分のものにしてくれるでしょう。

「古代神」

さて4曲目は古代神。
この曲は安原さんの稽古期間中に2日間だけ東京から稽古に来た橋本さんの課題曲。
その2日間は彼女の稽古に安原さんがお付き合い。
メインは橋本さんです。
その為にその数日前から古代神の稽古が始まったのです。
今までは小道具は何も持たない手踊りでしたが、今度は扇子の踊りです。
それも両手に持って・・・。
またまた手首を俊敏にまわすことが必要となりました。
振りはとてもシンプルですからその扇子の扱いが肝心。
扇子の扱いに慣れる丁度その訓練もかねて日本舞踊の扇子の稽古も一緒に稽古することにしました。
苦労した挙句ほぼ理想どおりに扇子をクルクル回しながら踊れるようになりました。
見ているととても楽しげです。
彼女の大好きな踊の一つになったようです。

「さんさ踊り」

実は今回の稽古の中心演目でした。
昨年の嵐太鼓のワークショップのメインもさんさ踊りの3拍子だったのです。
そこで何が何でもこれを覚えて帰って皆に安原さんが教えなければならないのです。
最初からこの曲に取り組むという方法もあったのですが、私のプランでは一定民舞を踊る体に馴染んできてから・・・と考えたわけです。
それが功を奏したかどうか・・・結果的には見事に踊りぬいたので・・・功ありと考えましょうか。
まずは太鼓のリズム訓練と平行して手踊りの訓練から始めました。
ところが太鼓は日本独特の横打ちです。
アメリカやカナダの太鼓の打ち方は立て打ちが主流ですから、垂直に叩くのは得意なのですが横打ちは何とも力のある音が出ません。
手首のスナップ、有効に横に置いてある太鼓の皮に対してそれこそ垂直に打ち込むという感覚がもてないのです。
向かい合って叩いたり、一打一打を確認しあったり細かく分析しあいながら随分と時間を費やしたと思います。


もちろん各踊りの拍子を叩きながらの訓練でしたからリズムの把握そのものは問題なく行ったのですが。
太鼓のリズムを覚えたらその拍子の手踊りを覚えると言う具合で一応全体は当たりきりました。
覚えた曲は「3拍子」「4拍子」「5拍子」「7拍子」「田植え踊りくずし」「獅子躍りくずし」「引きは」「礼おどり」それに「歩み太鼓」の計9曲。
そこでやっと太鼓をつけての踊りの稽古へ。
力のある太鼓の横打ちに慣れないまでもどうやら太鼓の踊りも踊れるようになって、その内容が変わってきたのはやはり必要な時間が経過した後でした。
その節目になったのはある時に彼女の叩き方と私の叩き方をビデオで撮影して見比べたときからだったでしょうか。
太鼓の打面をクローズアップしてどのように打ち込まれているか一目瞭然にしたわけです。
客観的な事実を目の当たりにして彼女の認識と具体的なイメージ、目標がはっきりしたということだったでしょう。
それからの彼女はみるみる目覚しい変化を遂げていったのです。
太鼓の打ち込みも力強さが出て、それと同時に踊りも明確になっていったのです。
その過程は大変興味深いものだったと今でも思います。
総合的なものなのですね。
太鼓の打ち方がつかめることによって踊りを安心して踊れるようになり、踊り全体がダイナミックに整ってくるのです。
訓練はもちろん現地のように各拍子ごとにやっていくわけですが最終的にはこの踊りも彼女用の構成を作り、その訓練を最終目標にしました。

稽古の半ば頃には盛岡の太鼓店に注文したさんさ踊りの太鼓が出来上がってきました。
彼女の踏ん張りにさらに拍車がかかったのは言うまでもありません。

「西馬音内盆踊り」

8月16日〜19日はかの有名な羽後町の西馬音内盆踊りの時期。
その時期にあわせて間に合うように安原さんも西馬音内の踊りの稽古を開始した。
ですからこの時期は今までの曲の復習をやりながらまたまた新しい曲にトライ。
大忙しの安原さんでした。
西馬音内盆踊りは「音頭2番分」と「がんけ2番分」を覚えなければなりません。
手はこれまで以上にさらに指をそらせなければなりません。
ところが右手の親指だけが時々どうしてもゆるんでいるように見えるのです。
それを除けば今までの覚えるペースより多少順調にいったと思います。
それまで積み上げてきた訓練の成果だったかもしれません。
また西馬音内盆踊りでみんなに混じって踊るという差し迫った目標があったからかもしれません。
いずれにしても本番の前には踊りは覚えたのです。
そこで本番を想定して特別に私が安原さんのために用意していた浴衣を着て稽古。
もちろんあの独特の反りを持つ笠を被っての稽古はそれ以前からやっていましたが。
そして2日前あたりからアスファルトで草履を履いて踊ることにそなえて実際に我が家の前の道路で稽古をしてみたりもしました。
案の定「がんけ」の最後の回転の振りで草履がよじれてしまうのです。
重心のかけ方などをいろいろアドバイスしたりしますが不安要素が残りました。
「当日はアスファルトの砂をまくから大丈夫・・・」と慰めたりしながらとにもかくにも準備はすべてやりきりました。

当初8月17,18日の天気予報がが雨の予想だったので16日に踊りに行く予定にしていました。
予報が少しずれて17日も天気になることが判り、私も増田町の知り合いの方から増田の盆踊りを見に来ないかとのお誘いがあったりしたこともあり、17日に踊りに行くことにしました。
17日午前、午後はびっしりと稽古。
そしてそのまま我が家で夕食をとり夕方7時頃に出発。
9時前に現地到着。
役場に駐車し、知り合いの古着屋さんにしごきを調達してもらったりしながら安原さんはそのまま踊りの輪に加わりました。
そのまま2時間、盆踊りの最後の囃子がなり終わるまで一時も休まずに踊り続けた安原さんでした。
堪能しきった2時間だったようです。

初めての着付
笠つけて
現地で

「秋田おばこ」

稽古の日程が残り少なくなってしまったが最後に秋田の代表的な手踊り「秋田おばこ」を訓練することにした。
これは歌も含めて(最終的には歌いながら踊れるようにすることが目標)だ。
津軽の手踊りとはこれまたニュアンスがまったく異なるゆったりとした華麗な踊り。
最初の「おば〜アこ〜なア〜〜〜」まででまず手と足の間のとり方で苦戦。
一旦手の甲を自分の方に向けてそれをクルッと返す・・・という秋田手踊りの最大の特徴が要所要所に入ってくるのだがそれも結構難しい。
稽古の最終日は19日。
その日がどんどん近づいてくるプレッシャーからか中々覚えられない自分に腹を立ててか・・・悔しさで涙を流しながら挑戦したのです。
踊りが煮詰まってくrと歌の稽古に切り替え、また踊りに戻る。
そうした差し迫った緊張感の中彼女は頑張りぬきました。
躍りもある段階から秋田の手踊りらしい感じが出てきました。
いつもその変化にはびっくりさせられます。
歌は私の三味線に合わせての稽古。
日本の民謡は歌詞付けが難しいのですよね。
そのタイミングに苦戦はしていましたがどうやらこうやら歌いながら踊ることも希望が見えてきた頃に稽古は終了となりました。
若干心残りもありますがきっと撮り貯めたビデオを見返しながら稽古にいそしむことでしょう。

成果発表とお別れパーティ

彼女はこの先もう少し日本にいて、今回覚えた芸能のふるさとを中心に旅行も予定しているようです。
その旅の途中でもう一度我が家に立ち寄り、短時間ではありますが稽古をする予定も考えているようです。
再会を楽しみにして今回の稽古を終えました。
終わりにあたって19日の夕方、わが家族のだけの成果発表会をしました。
その踊りを見ていた私の孫のももはすっかり彼女のファンになったようで、パフォーマンスが終わると彼女に抱きついていきました。
子どもは正直なんですよね。
その後我が家特製の「餃子パーティ」で2ヶ月間ご苦労様のお別れパーティをしました。

パフォーマンスと交流

最終日の我が家での発表の他に彼女がこの間経験したパフォーマンスは2回。
その他に我が家を訪れた老人クラブの方に見ていただく機会がありました。

最初のパフォーマンス「西木老人クラブ」

西木の老人クラブの健康作り事業で私が講師ということで集まりがありました。
8月3日のことです。
せっかくですからそれに彼女も一緒に参加してもらうことにしました。
そこで彼女も覚えたての踊りを披露しました。
曲はソロで「津軽じょんから節」と「越中おわら節」
私と一緒に「そーらん節」でした。
いろいろハプニングもありながら一生懸命務めた彼女でした。

[ののはな」パフォーマンス

9月18日の昼、安原さんのホームステイ先のご夫婦、牧田さんが運営するデイ・サービス・センター「ののはな」で踊りを見てもらうことになった。
牧田さんたちへの感謝の気持ちも込めてである。
この時は持ち時間約30分をすべて安原さん一人でやりきる・・・ということにした。
司会も含めてである。
果敢に挑戦した彼女、みなさんにとても喜ばれました。
牧田さんご夫婦も「凄い!一杯覚えたんだね!」とびっくりするやら感心するやら。
この日は結局彼女が覚えた「秋田おばこ」以外の曲を全部踊ったのです。
彼女にとっても「これだけの時間をやり切れる踊りを教えてもらったんだ」と改めてこの2ヶ月間の成果を振り返る機会になったようです。

最後は期せずして老人クラブの方との交流をすることになった安原さんです。
ある日電話が入った。
時々私の家に遊びに来る老人クラブの方からだった。
「今日行ってもいいかな・・・」
ちょっと考えた私「どうぞどうぞ・・・カナダから来ている方のお稽古がありますがそれも見てください」
ということで連れ立って遊びに来てくれたのです。
そこでこれ幸いとさっそく安原さんに習った踊りを踊って見てもらって・・・と。
突然の要求でびっくりした彼女、それでも踊りました。
狭い我が家のこと目と鼻の先の距離でしたが一曲一曲に感心して相槌を打ちながら見入ってくれました。
「今秋田おばこを習っているところなので地元の踊りを踊って見せて」とお願いすると快く「田舎のばあさんの踊りだけれど」と言いつつ踊って見せてくれました。
和やかな交流になりました。
これも一つの思い出となることでしょう。

このようにして可能な限り踊りを覚え、実践した彼女の2ヶ月間を終わりました。
最近来た連絡によると、東北、北海道旅行の合間に一日立ち寄って稽古をすることになりました。
さらに磨きをかけてカナダに帰ってもらえるよう、総仕上げをしたいと今から楽しみにしています。

これでとりあえず今回の報告は一旦終了です。
お付き合いありがとうございました。

さて2007年1月10日嘉代さんから新聞が届きました。
カナダの日系人の間で読まれている「日加タイムス」という新聞です。
その新年号に嘉代さんが大々的に取り上げられたのだそうです。
その新聞記事を紹介いたします。