アメリカ・ワークショップ・ツアー報告 3

2005 Fall Workshop Tour
September−October

ツアー日記(3) 再びポートランド〜シアトル〜サンノゼへ

2005年10月 4日 午前中は笛を吹いて過ごす。
サホミ・タチバナとフランクに昼食を招かれて訪問。
サホミとフランクは2年前のツアーの時にポートランドでのパフォーマンスを主催してくれたご夫婦。
ポートランドで長年日本舞踊を教えてこられ、最近は民族舞踊も取り上げておられるそうです。
私が彼女たちと知り合ったそもそものきっかけはわらび座の最初のアメリカツアーの時のことです。
シアトルでの公演にポートランドから彼女とフランクが見に来てくださったのですね。
彼女から名刺を頂いたのが始まりです。
2年前のワークショップ・ツアーを計画する際にその名刺をミッシェルに紹介すると、さっそく彼女はサホミさんと連絡を取り合い・・・それがきっかけとなって2年前のパフォーマンスが実現したのです。
そして今回自宅に招待いただいた次第。
フランクは若い頃バレーを勉強していてそこでサホミと知り合った・・・その経緯も今回じっくりと聞かせてもらいました。
フランクが進駐軍の一員として日本に滞在していた戦後間もなくの頃、石井獏とか伊藤道郎などと随分親交があったそう・・・とても興味深い話が続けました。
サホミさんが日本舞踊を始めたのは幼いころからで、舞踊の才能があるということで日本に送られて修業をつんだのだそうです。
その後第2次世界大戦中、キャンプの中で子供たちやご婦人方に踊りを指導しながら何も無いキャンプ生活を豊かにするために生き抜いてこられた・・・と。
話も尽きぬ中・・・ヴァレリーが迎えにきてくれて今回はお別れしてきましたが、またお会いする楽しみが増えました。
ポートランド太鼓のワークショップ、皆と会うのはコンサート以来。
何だか久しぶりの感じ。
メンバーが集まるのも今日が最初ということで、皆もボーッとしていていかにも休み明け・・・という感じでした。
ミッシェルとテリーサからは「楽しくなくてもいい・・・体を作るために基本をみっちりやって欲しい」ということだったので腰をしっかりと鍛える「七頭舞」を計画していました。
それでも少し心配だったので「郡上・かわさき」を最初に皆で踊ることにしました。
結構皆速いテンポで覚えてくれたのでまずは安心。
そしていよいよ「七頭舞」
2年前「さんさ踊り」で大パニックだったのでハードな動きに「やるぞ」という気持ちでついて来れるか心配でした。
しかし始めると皆一生懸命。
一緒にコンサートを作り上げたという信頼感があったことも大きく作用していたかと思います。
メンバーの中にレイチェルという女性がいました。
彼女はとてもリズム感が良く、パフォーマーとしてもとても才能があるのですがそのリズムの感じ方が何時もジャズやアフリカン的になる人です。
2年前の「さんさ踊り」の時も大変な時にジョーダンを飛ばして笑いで誤魔化す感じがあって・・・彼女とどうもかみ合わない・・・という印象を持っていたのです。
どっしりした腰使いで「ダンドーツット・・・」と踊る日本の民舞を真剣に受け止めてくれるか・・・一番心配をしていた人でした。
ところが彼女はとても真剣に挑戦してくれました。
それが私にとってとても嬉しいことの一つとなりました。
その変化がどこから来たのか・・・私はコンサートの時から感じていました。
「サーモン・ゴースト・ソング」で私が踊っている真後ろで何時も太鼓を叩いたりチャッパを叩いたりしてくれた彼女が合わせ稽古の最初から踊りに大変感動してくれたのです。
その思いが日常の態度からも感じ取れました。
2年前の印象とはまったく異なる印象・・・仲間内としての信頼感で結ばれている・・・そんな感じをずっと抱いていたのです。
彼女との信頼関係を作ることはは一つのハードル。
それを飛び越えることが出来たことでさらに全体との深い信頼関係につながっていったのだと思います。
全体の気合も上がり、随分良い仕上がりになった・・・満足感のもてるワークショップとなりました。
この後は引き続きミッシェルが訓練の一環として続けて行くことになっております。
          5日 午前ヴァレリーに案内されてリックのコーヒーショップへ。
美味しいコーヒーとスープをご馳走になる。
午後スタジオでスタッフのための「田子神楽・切り番楽」の囃子の稽古。
「Little Thunder concert」でやったように学校公演で日本の太鼓の歴史紹介の時にミッシェルが踊りを踊るのですが、そのお囃子をテリーサが叩く・・・そのための特訓です。
テリーサは太鼓、レイチェルともう一人の日本人スタッフ和代がチャッパという組み合わせ。
日本の神楽のニュアンスを伝えるために必死でした。
稽古が終わってミッシェルとテリーサとミーティング。
これはポートランド太鼓の2007年のコンサートで一緒に作品作りをしましょう・・・というコラボレーションの為の第1弾の打ち合わせ。
内容はこれから・・・煮詰めていくことになるでしょう・・・楽しみ、楽しみ!!
さて本来なら今日のワークショップはポートランド太鼓の子供たちのクラス「たぬき太鼓」メンバーのためのワークショップとして設定されていたのですが、子供たちは休暇のために家族旅行などでほとんど居ないのでメンバーのためのワークショップ第2弾ということに切り替わり・・・「そーらん節」を。
家に残っていた「たぬき太鼓」のメンバー2人も参加してくれて昨夜に負けず劣らずの盛り上がりとなり多いに楽しんでくれました。
ワークショップ終了後またもやポトラックでのパーティー。
今回大事な仕事をさせてもらったポーたランド太鼓のみんなとこれが本当に最後のお別れ会でした。
          6日

午前のAmtrak(日本でいえば特急列車かな?)でポートランドからシアトルに向かう。
初めてのアメリカ列車の旅。

食堂車で大分長いことコーヒーを飲みながら過ごす。
眠気が襲ってくる。
この頃から何故か日中眠気に襲われることが多くなってくる。
一山越えて気が緩んだのだろうか?
座席に戻りシアトルに着くまで眠る。
シアトル駅でタイラーが待っていてくれる。
彼は私がずっと「アメリカの息子」と言ってきた人物。
わらび座アメリカツアー以来の付き合いだ。
シアトルで大きなスーパーを営む父親の元から逃れ自分の道を模索してサンノゼに住みつづけてきた彼が結婚を機に今はシアトルに戻り、スーパーの経営を手伝っているそうだ。
彼もとうとう青年期を卒業したか・・・多少複雑な思いも無いではない。
彼のちっとも変わらぬ人の良い笑顔に再会して本当の息子に会ったような嬉しさを覚える。
シアトル太鼓グループのリーダー、スタンが迎えに来るまでお父さんの店「宇和島屋(つまり愛媛県出身なのですね、お父さんは)」で待たせてもらう。
無性に睡魔に襲われて椅子に腰掛けたままウツラウツラ・・・。
やっと現れたスタンに連れられてホームステイ先のマサエの家へ。
彼女は現在大学で「お茶」を教えている根っからの茶人、であり又新(ゆうしん)太鼓というグループのリーダーでもあり、美空ひばり大好き人間でもあります。
彼女の点ててくれたお茶を頂き眠気をさます。
さて夜第1日目のワークショップ。
「さんさ踊り」
2年前に教えてから自分たちで稽古も積み重ねてきて発表も行ってきているというその踊りを楽しみにして見る。
皆の努力が見える踊りでつい嬉しくなる。
教えた3拍子、4拍子以外に自分たちでビデオを見ながら稽古したという7拍子、そしてミッシェルが一度教えに来て覚えたという礼踊り。
どれも努力の跡が垣間見られつい嬉しくなる。
盛岡の太鼓屋から苦労して送ってやったさんさ用の太鼓を胸につけて踊っている姿は・・・ここはアメリカ・・・ということを一瞬忘れてしまうほどでした。
今回はレベルアップを図りたいということの要請を受けていたので各踊りについて細かい点検でその後の時間は費やされてしまいました。

中心で全体のリードを取っていた若い女性は気合も含めてこの踊りを物にしたいという意気込みにあふれていてとても良い踊りをしていました。
したがって彼女の次の踊りを覚えたいという願いには応えられなかったようで多少不満の様子。
結果的に3日目のワークショップは「じゃんがら」に決まっていたのですがそれを「さんさ踊り」にあてることで解決したのですが。
こうしてシアトルに「さんさ踊り」が定着していくかと思うと感慨深いものがありました。

          7日

午前ワシントン大学内の美術館を見学。
ここワシントン大学はわらび座の最初のツアーで使わせてもらった劇場のあるところ。
懐かしい。
昼食後ミッシェルはわざわざポートランドからやってきたテリーサとミーティング。
ミッシェルがこのツアーの途中から来年の1月まで日本に帰ってしまうのでその不在の間の活動についての打ち合わせなのです、忙しいミッシェル。
私はずっと気がかりだったお土産を仕入れにマサエに案内されてショッピング。
買い込んだお土産を箱詰めまでしてまずは一安心。
さて今夜のワークショップは各太鼓グループの若者を中心にしたビギナー・クラス対象のワークショップ。
みんな若い。
最初はどうかな?・・・と多少心配もしたがみんなとても素直で一生懸命トライしてくれた。
こちらもついつい嬉しくなって張り切ってしまう。
基本として3拍子のみをやったのですが終始楽しく、それでいて良い具合に進んだのがなんと言っても嬉しい。
この若者たちが将来シアトルの太鼓グループを引っ張っていくのかと思うと頼もしくなってくる。

          8日 今日のワークショップは朝10時から夕方の5時までという長丁場だ。
そして「じゃんがら」から変更した「さんさ踊り」の継続稽古。
早速基本として3拍子をやった後新しい拍子に入る。
「獅子踊りくずし」
何時ものごとくまずは太鼓のリズム訓練から。
今までの経験があるので飲み込みは悪くない。
昼食タイムを挟んで手踊り、太鼓を着けての踊りと・・・みんな必死で挑戦。
最後の方はかなり疲れも見えたがとうとうやりきってしまう。
ご苦労様でした・・・シアトルのみんな。

その日の夕食は皆でイタリヤレストランにピザを食べに行く。
3日間の「さんさ踊り」ワークショップをやり切った満足感で私も皆もかなりリラックスしてはしゃぎながらの楽しい夕食会になりました。

良かった、良かった!!
          9日

シアトル最後のワークショップ。
今日は12時から6時までのこれまた長時間の「はいや節」ワークショップの日。
昨日からワークショップに参加していたタイラーが9時15分に迎えに来てくれた。
彼の新居で朝食を頂くのだ。
彼の奥さんともやっとご対面・・・楽しみ!
彼の奥さんはベトナム系アメリカ人、写真で見るとかなりの美人だ。
素敵にリフォームされた新居で彼女・ティさんとタイラーのおばさん家族も丁度来合わせて一緒に楽しい食事会。
食後ティさんにタイラーと私が踊る「そーらん節」を見てもらう。
そして記念の写真を・・・パチリ!

12時にあわせてワークショップ会場へ。
「さんさ踊り」は辛抱の要る踊りだが今日の「ハイヤ節」は明るくて楽しい踊りで、どちらかというとアメリカ人好み。
最初からムードが軽快だ。
始終笑いが絶えない。
1,2番の踊り方を覚えて全体で構成をつけるところまで行く。
シンプルな構成だがそれでぐっと楽しさが増す。
即興踊りにも喜んでトライ。
最後の頃にタイラーの奥さんのティさんも現れて笑いながら喜んで見ている。
それにしても6時間のワークショップはちょっときつい。
途中で1時間のブレイクタイムを取ったので何とか持ったけれど・・・。
その疲れに打ち勝って皆さん良く挑戦してくれました。
ワークショップ終了後はやはりお別れの夕食会・・・ですね。
皆そろっていざ中国料理店へ・・・ということでテーブルを囲んでせっせせっせと箸を動かしました。
重労働の後の食事は本当に美味いものです。

丁度その時、ミッシェルが携帯電話を手渡してくれる。
ロサンゼルスに居るPJからの電話だ。
明日はサンノゼなのですが彼女には今回会えない。
なぜなら彼女は今、長年プランを煮詰めてきたトライアングル・プロジェクトがとうとう日の目をみるということでロスでその最後の仕上げにかかっているからです。(トライアングル・プロジェクト・・・はPJと歌手ノブコ・ミヤモトと鼓童の藤本容子さん3人のコラボレーションで作品を生み出すという試み。公演を間近にひかえていたのです)
その彼女からの電話・・・懐かしい。
そもそも私がアメリカの太鼓グループと最初に深く繋がりを持ったのは彼女がきっかけ。
互いの健闘を祈りながら電話を切る。
さあ、明日は彼女は居ないがサンノゼだ。
ふるさとに帰っていくような気分。

         10日 マサエにシアトル空港まで送ってもらう。
ここから私は一人旅。
ミッシェルは来年渡米するご主人のビザを申請するために日本に帰るのだ。
サンノゼでちょっと会うことはあるが(彼女の両親の家にホームステイさせてもらうこともあって)今度はミッシェルに代わってサンノゼ太鼓のユミが私のアシスタントを勤めてくれることになっている。
シアトル空港12時06分発。
サンノゼ2時06分着。
空港にはサンノゼ太鼓のウイッサとフランコ夫婦が出迎えに来てくれる。
彼らは若い夫婦でサンノゼ太鼓のスタッフ・メンバー。
2年ぶりなのに別れたのがついこの間のような感じで再会。
そのままサンノゼ太鼓のオフィスへ。
偶然鼓童の笛の奏者渡辺薫さんが笛のワークショップ・ツアーで来ているということ。
今スタジオでサンノゼ太鼓メンバーのロイとメグにワークショップをしているということを聞いたので見学させてもらう。
残念ながら実際の笛の稽古はちょっとだけで後はお話が中心でしたが、私も笛を稽古し続けているので随分と参考になることがありました。
再びオフィスに戻りミッシェルの両親、ヘンリーとマリを待つ。
6時に二人と丁度ユミも顔を出し一緒に夕ご飯を日本町の「権兵衛」でご馳走になる。
この日はしばらくぶりに煮物とアジの開き、きんぴら、鶏めし、日本の味だ。
食事後ヘンリーの家へ移動。
ゆっくりと休ませてもらう。
         11日 午前午後をミッシェルの家でゆっくりと過ごす。
昨夜深夜にポートランドから着いたミッシェルと昼食を一緒に頂き、食後久しぶりにじっくりとミーティング。
今後のワークショップ・ツアーの方向、ミッシェルの仕事のこと、将来のことなど・・・。
来年ご主人がアメリカに移住してくると今までのように日本に帰るということは出来なくなるが定期的に勉強に通いたい・・・ということ。
彼女の計画は中々堅実だ。
今までもそうして彼女はしっかりとプランをたてて実行に移し、成功させてきた。
彼女が日本で民舞を勉強した強みはアメリカの太鼓コミュニティの中でもしっかりとした地歩を築き上げつつあるように思う。
私もそのことに少なからぬ関わりを持ててきたことがとても嬉しい。
さて4時過ぎにユミが現れ7時からのワークショップに出発。
懐かしいサンノゼ太鼓の面々と再会。
ワークショップはこのツアーでは一番短い時間で2時間半、踊りは「ハイヤ節」。
時間がちょっと不足気味で途中やや端折り気味。
猛スピードで仕上げた感じだった。
それが多少心残り。

ワークショップ終了後何人かとメキシコ・レストランで夕食。
無性にお腹が空いていた。
再びユミに送ってもらって帰宅。
         12日 朝食後ミッシェルを空港まで送り届けるお母さんの車でフランコ宅に連れて行ってもらう。
今日の夜はスタンフォード太鼓のワークショップだ。
それまでフランコとウイッサの家でお休み。
一日中笛を吹いて気ままに過ごす。
5時頃ユミが迎えに来てくれてスタンフォード大学へ。
スタンフォード太鼓は学生たちの太鼓グループ。
到着後しばらくすると若者たちが一人二人と集まってくる。
みんなとても気の良い学生たちばかりだった。
殆どが日本語を話せる(かたことでも)ので気が楽になる。
会場が開くまで外で待ちながら生徒が仕入れてきた弁当を食べる。
いろいろなおしゃべりが楽しい。
その間にとても良い雰囲気が出来上がっていたのでワークショップは開始直後から上々。
3時間のワークショップだったが和気藹々とした中にも活発に進みみんなとても満足そう。

彼らの若さを一杯もらったような楽しい一時であった。
11時フランコ宅へ帰宅。
いよいよ明日は最後の地、マウイ島だ。