2005年10月 4日 | 午前中は笛を吹いて過ごす。 サホミ・タチバナとフランクに昼食を招かれて訪問。 サホミとフランクは2年前のツアーの時にポートランドでのパフォーマンスを主催してくれたご夫婦。 ポートランドで長年日本舞踊を教えてこられ、最近は民族舞踊も取り上げておられるそうです。 私が彼女たちと知り合ったそもそものきっかけはわらび座の最初のアメリカツアーの時のことです。 シアトルでの公演にポートランドから彼女とフランクが見に来てくださったのですね。 彼女から名刺を頂いたのが始まりです。 2年前のワークショップ・ツアーを計画する際にその名刺をミッシェルに紹介すると、さっそく彼女はサホミさんと連絡を取り合い・・・それがきっかけとなって2年前のパフォーマンスが実現したのです。 そして今回自宅に招待いただいた次第。 フランクは若い頃バレーを勉強していてそこでサホミと知り合った・・・その経緯も今回じっくりと聞かせてもらいました。 フランクが進駐軍の一員として日本に滞在していた戦後間もなくの頃、石井獏とか伊藤道郎などと随分親交があったそう・・・とても興味深い話が続けました。 サホミさんが日本舞踊を始めたのは幼いころからで、舞踊の才能があるということで日本に送られて修業をつんだのだそうです。 その後第2次世界大戦中、キャンプの中で子供たちやご婦人方に踊りを指導しながら何も無いキャンプ生活を豊かにするために生き抜いてこられた・・・と。 話も尽きぬ中・・・ヴァレリーが迎えにきてくれて今回はお別れしてきましたが、またお会いする楽しみが増えました。 ポートランド太鼓のワークショップ、皆と会うのはコンサート以来。 何だか久しぶりの感じ。 メンバーが集まるのも今日が最初ということで、皆もボーッとしていていかにも休み明け・・・という感じでした。 ミッシェルとテリーサからは「楽しくなくてもいい・・・体を作るために基本をみっちりやって欲しい」ということだったので腰をしっかりと鍛える「七頭舞」を計画していました。 それでも少し心配だったので「郡上・かわさき」を最初に皆で踊ることにしました。 結構皆速いテンポで覚えてくれたのでまずは安心。 そしていよいよ「七頭舞」 2年前「さんさ踊り」で大パニックだったのでハードな動きに「やるぞ」という気持ちでついて来れるか心配でした。 しかし始めると皆一生懸命。 一緒にコンサートを作り上げたという信頼感があったことも大きく作用していたかと思います。 メンバーの中にレイチェルという女性がいました。 彼女はとてもリズム感が良く、パフォーマーとしてもとても才能があるのですがそのリズムの感じ方が何時もジャズやアフリカン的になる人です。 2年前の「さんさ踊り」の時も大変な時にジョーダンを飛ばして笑いで誤魔化す感じがあって・・・彼女とどうもかみ合わない・・・という印象を持っていたのです。 どっしりした腰使いで「ダンドーツット・・・」と踊る日本の民舞を真剣に受け止めてくれるか・・・一番心配をしていた人でした。 ところが彼女はとても真剣に挑戦してくれました。 それが私にとってとても嬉しいことの一つとなりました。 その変化がどこから来たのか・・・私はコンサートの時から感じていました。 「サーモン・ゴースト・ソング」で私が踊っている真後ろで何時も太鼓を叩いたりチャッパを叩いたりしてくれた彼女が合わせ稽古の最初から踊りに大変感動してくれたのです。 その思いが日常の態度からも感じ取れました。 2年前の印象とはまったく異なる印象・・・仲間内としての信頼感で結ばれている・・・そんな感じをずっと抱いていたのです。 彼女との信頼関係を作ることはは一つのハードル。 それを飛び越えることが出来たことでさらに全体との深い信頼関係につながっていったのだと思います。 全体の気合も上がり、随分良い仕上がりになった・・・満足感のもてるワークショップとなりました。 この後は引き続きミッシェルが訓練の一環として続けて行くことになっております。 |
5日 | 午前ヴァレリーに案内されてリックのコーヒーショップへ。 美味しいコーヒーとスープをご馳走になる。 午後スタジオでスタッフのための「田子神楽・切り番楽」の囃子の稽古。 「Little Thunder concert」でやったように学校公演で日本の太鼓の歴史紹介の時にミッシェルが踊りを踊るのですが、そのお囃子をテリーサが叩く・・・そのための特訓です。 テリーサは太鼓、レイチェルともう一人の日本人スタッフ和代がチャッパという組み合わせ。 日本の神楽のニュアンスを伝えるために必死でした。 稽古が終わってミッシェルとテリーサとミーティング。 これはポートランド太鼓の2007年のコンサートで一緒に作品作りをしましょう・・・というコラボレーションの為の第1弾の打ち合わせ。 内容はこれから・・・煮詰めていくことになるでしょう・・・楽しみ、楽しみ!! さて本来なら今日のワークショップはポートランド太鼓の子供たちのクラス「たぬき太鼓」メンバーのためのワークショップとして設定されていたのですが、子供たちは休暇のために家族旅行などでほとんど居ないのでメンバーのためのワークショップ第2弾ということに切り替わり・・・「そーらん節」を。 家に残っていた「たぬき太鼓」のメンバー2人も参加してくれて昨夜に負けず劣らずの盛り上がりとなり多いに楽しんでくれました。 ワークショップ終了後またもやポトラックでのパーティー。 今回大事な仕事をさせてもらったポーたランド太鼓のみんなとこれが本当に最後のお別れ会でした。 |
6日 |
午前のAmtrak(日本でいえば特急列車かな?)でポートランドからシアトルに向かう。 |
7日 |
午前ワシントン大学内の美術館を見学。 |
8日 | 今日のワークショップは朝10時から夕方の5時までという長丁場だ。 そして「じゃんがら」から変更した「さんさ踊り」の継続稽古。 早速基本として3拍子をやった後新しい拍子に入る。 「獅子踊りくずし」 何時ものごとくまずは太鼓のリズム訓練から。 今までの経験があるので飲み込みは悪くない。 昼食タイムを挟んで手踊り、太鼓を着けての踊りと・・・みんな必死で挑戦。 最後の方はかなり疲れも見えたがとうとうやりきってしまう。 ご苦労様でした・・・シアトルのみんな。 その日の夕食は皆でイタリヤレストランにピザを食べに行く。 3日間の「さんさ踊り」ワークショップをやり切った満足感で私も皆もかなりリラックスしてはしゃぎながらの楽しい夕食会になりました。 良かった、良かった!! |
9日 |
シアトル最後のワークショップ。 |
10日 | マサエにシアトル空港まで送ってもらう。 ここから私は一人旅。 ミッシェルは来年渡米するご主人のビザを申請するために日本に帰るのだ。 サンノゼでちょっと会うことはあるが(彼女の両親の家にホームステイさせてもらうこともあって)今度はミッシェルに代わってサンノゼ太鼓のユミが私のアシスタントを勤めてくれることになっている。 シアトル空港12時06分発。 サンノゼ2時06分着。 空港にはサンノゼ太鼓のウイッサとフランコ夫婦が出迎えに来てくれる。 彼らは若い夫婦でサンノゼ太鼓のスタッフ・メンバー。 2年ぶりなのに別れたのがついこの間のような感じで再会。 そのままサンノゼ太鼓のオフィスへ。 偶然鼓童の笛の奏者渡辺薫さんが笛のワークショップ・ツアーで来ているということ。 今スタジオでサンノゼ太鼓メンバーのロイとメグにワークショップをしているということを聞いたので見学させてもらう。 残念ながら実際の笛の稽古はちょっとだけで後はお話が中心でしたが、私も笛を稽古し続けているので随分と参考になることがありました。 再びオフィスに戻りミッシェルの両親、ヘンリーとマリを待つ。 6時に二人と丁度ユミも顔を出し一緒に夕ご飯を日本町の「権兵衛」でご馳走になる。 この日はしばらくぶりに煮物とアジの開き、きんぴら、鶏めし、日本の味だ。 食事後ヘンリーの家へ移動。 ゆっくりと休ませてもらう。 |
11日 | 午前午後をミッシェルの家でゆっくりと過ごす。 昨夜深夜にポートランドから着いたミッシェルと昼食を一緒に頂き、食後久しぶりにじっくりとミーティング。 今後のワークショップ・ツアーの方向、ミッシェルの仕事のこと、将来のことなど・・・。 来年ご主人がアメリカに移住してくると今までのように日本に帰るということは出来なくなるが定期的に勉強に通いたい・・・ということ。 彼女の計画は中々堅実だ。 今までもそうして彼女はしっかりとプランをたてて実行に移し、成功させてきた。 彼女が日本で民舞を勉強した強みはアメリカの太鼓コミュニティの中でもしっかりとした地歩を築き上げつつあるように思う。 私もそのことに少なからぬ関わりを持ててきたことがとても嬉しい。 さて4時過ぎにユミが現れ7時からのワークショップに出発。 懐かしいサンノゼ太鼓の面々と再会。 ワークショップはこのツアーでは一番短い時間で2時間半、踊りは「ハイヤ節」。 時間がちょっと不足気味で途中やや端折り気味。 猛スピードで仕上げた感じだった。 それが多少心残り。 ワークショップ終了後何人かとメキシコ・レストランで夕食。 無性にお腹が空いていた。 再びユミに送ってもらって帰宅。 |
12日 | 朝食後ミッシェルを空港まで送り届けるお母さんの車でフランコ宅に連れて行ってもらう。 今日の夜はスタンフォード太鼓のワークショップだ。 それまでフランコとウイッサの家でお休み。 一日中笛を吹いて気ままに過ごす。 5時頃ユミが迎えに来てくれてスタンフォード大学へ。 スタンフォード太鼓は学生たちの太鼓グループ。 到着後しばらくすると若者たちが一人二人と集まってくる。 みんなとても気の良い学生たちばかりだった。 殆どが日本語を話せる(かたことでも)ので気が楽になる。 会場が開くまで外で待ちながら生徒が仕入れてきた弁当を食べる。 いろいろなおしゃべりが楽しい。 その間にとても良い雰囲気が出来上がっていたのでワークショップは開始直後から上々。 3時間のワークショップだったが和気藹々とした中にも活発に進みみんなとても満足そう。 彼らの若さを一杯もらったような楽しい一時であった。 11時フランコ宅へ帰宅。 いよいよ明日は最後の地、マウイ島だ。 |