アメリカ・ワークショップ・ツアー報告 4

Workshop Tour
July−August
2003

山場を迎えたパフォーマンス。人、人、人のTaiko Conference

 7月25日

昼食を権兵衛(サンノゼ日本町にある家庭的な味付けの日本食レストランの名)で。その後サンノゼ太鼓のオフィスに寄る。ミッシェルは徹君を案内して日本町見物。私はROYとPJ、ニューイングランド太鼓のイレインとおしゃべり。私の英語が上手くなったとPJがしきりにほめてくれる、がそれは以前があまりにひどかったため。
エミリヴィル太鼓のワークショップは夜の7時からであるが、フリーウェイでの渋滞を予測して4時にサンノゼを出発。
思ったより道路は順調で予定時刻より早めに到着。近くのマーケットで夕食を買い込んで済ませ、悠々とスタジオ入り。
エミリヴィル太鼓が呼びかけた近在の太鼓グループの人たち、サクラメントの民踊グループも含めて30人近い人たちがそーらん節に挑戦した。ハードな踊りにも関わらず皆さん大好きになってくれた。どの人もエキサイトしている。サクラメント民踊のリーダー、トシエさんが高齢にもかかわらずとても良い踊りを踊っている。エミリヴィル太鼓の代表スーザンと大声の持ち主のメンバーの男性が大きな声で「そーれ引け」と声をかける。すると皆が「ヨイショーッ」と会場を揺るがすような声で返す。それがたまらなく全体の活気を生み出し、ますます熱気が高まっていく。例によってグループごとに分かれて構成稽古。スタジオの空きスペースを陣取った各グループの熱心な自主稽古が続き、発表会。


この瞬間が何とも言えず楽しい。
興奮さめやらぬままに大半の人が翌日の黒石よされ節のワークショップで会いましょうと言い交し合いながら解散。
私達はサンノゼへ向けて再び車を走らせた。

 7月26日

サンノゼ太鼓メンバーと一緒に遅い朝食をとる。これは彼らにミッシェルの旦那さん、徹君を紹介するため。今日の夜、エミリヴィルでのパフォーマンスにサンノゼ太鼓のメンバーが10人位見に来てくれるという。嬉しい。その後再びエミリヴィルへ向けて出発。
エミリヴィル太鼓のスタジオにはかなり早く着く。まだ誰も来ていない。外でウォームアップ。待つうちにスーザンが現れやっと稽古場のカギが開けられた。アメリカは何処も車社会にキー社会。その徹底ぶりには毎度の事ながら驚かされる。
今日は黒石よされ節。昨日とはかなり踊りの傾向が違うので皆楽しんでくれるかどうか心配。昨日の顔ぶれが集まってきてくれた。それに予想もしていなかった懐かしいショーンとメリーが参加してくれた。二人はサンノゼ太鼓の25周年記念コンサートで一緒にステージをふんだ人たちである。ショーンは私の創ったパートの最初の踊りを踊ってもらった人。踊りは順調に覚えてくれたのでこの日は様々な構成に挑戦してもらった。2重の輪が入れ替わったり、外側の踊りが流し踊りをしている時に内側は回り踊りをしたり、その反対と交互に踊り方を変えたり。そして何よりも皆が心からこの踊りを納得する瞬間は、踊りの中に出てくる稲穂が揺れる振りです。その振りを抜き出してその振りだけを続けるのです。稲穂になった皆が時には緩やかに時には激しく風に揺れる。私は風の音を口と体で表して皆のイメージをかきたてます。何ともいえぬ稽古場の空気が凝縮していく瞬間が生まれるのです。皆も覚えると言う大変な作業から一瞬開放されて、感じる世界へ身をゆだねることで何ともいえぬ感動が全体を包みます。限りなく続くライス・フィールド(田んぼ)が確かにそこにうまれて・・・。


さてワークショップも無事に終わり、1時間半弱の準備時間の中で稽古場を片付け、当り稽古、セッティング、食事と慌しくしているうちにボチボチと人が集まってくる。
サンノゼ太鼓メンバー、ミッシェルのご両親とサンノゼから沢山見に来てくださる。
準備時間がなくて大変だったにも関わらず調子はそれまでで一番良かったかも知れない。チケット代が結構な値段で販売されていたので上演時間を絶対に1時間は切れないとミッシェルと話して多少時間をはみ出す様にプログラムを組んだのですが結果的に1時間半のプログラムになり後で二人でビックリ。
皆さん暖かく応援してくれて大成功。最後に相応しいパフォーマンスになりました。


片付け後打ち上げパーティー。皆さん中々帰らない。
サンノゼ組が帰った後、ようやく主催のエミリヴィル太鼓メンバーと交流、語り合う。日本の民族舞踊についての質問も続出。
サンノゼのミッシェルの家に11時30分帰宅。それから荷物の整理。
明日からPJの家に泊まらせてもらうためだ。ミッシェルの家は入れ替わってオン・アンサンブルのメンバーが泊まることになっている。

 7月27日

午前8時出発。Diablo Shinmu Daiko メンバーの西馬音内盆踊りワークショップでコンコード市へ移動。人数は少なかったが4時間、ゆったりとしたワークショップが出来た。充実した時間だった。代表のエリシエさんは前にも少し西馬音内盆踊りを習ったことがあるとか・・・しっかりと踊っている。


3時30分にコンコードを出発して、ミッシェルの家に戻る。PJたちサンノゼ太鼓は今日サリーナスでの盆踊り出演のため遅くなるので10時頃まで待つことに。
その内にクリス、バイロンが現れる。懐かしい面々。大分遅くなってマサトも。何だかんだとおしゃべりしていると夜10時頃PJから電話が入り、ミッシェルと徹君に送られてPJ宅へ。
三匹の犬たちがROY、PJと共にお迎えしてくれる。
3匹とも覚えていてくれたよう。
早めに休ませてもらう。

 7月28日

午前、久しぶりに洗濯。「何かやりたいことがあるか?」とPJが聞くので「坂上(さかうえ)さんに会いたい」と言うとすぐに坂上さんに連絡をとってくれる。上手く電話が繋がり午後2時にお出でくださいとのこと。
坂上さんは日系2世の方で農業で身を立ててきた方。前に出てきたサンノゼ太鼓の25周年記念コンサートでコラボレーションをした時にPJから日系1世、2世の歴史を描いたシーンを作りたいという要請を受けた。それを踊りと太鼓で表現するのである。そしてPJはジャパン・アメリカン・ミュージアムに連れて行ってくれた。そこで偶然見つけたりんご箱から踊りのインスピレーションを受けた。坂上さんが寄贈したりんご箱であった。それにりんごを収穫して出荷するのである。そしてボックス・ダンスが生まれたという経過があったのです。コンサートでは舞台でサンノゼ太鼓のメンバーが坂上さんのりんご箱を担いで収穫の踊りを踊ったのです。当日坂上さんもミュージアムの責任者も見に来てくれてとても喜んでくださいました。。私にとってそれは忘れられない思い出であります。その坂上さんに会ってみたかったのです。
午後2時、坂上さんのお宅を訪問。坂上さんは90歳というお年にも関わらずお元気で、突然訪ねてきた私とPJを快く迎え入れてくださいました。それから話が弾み気がつくと時計は4時半を回っていました。日本語を話す人が久しぶりにきてくれて嬉しいと大変な喜び様でした。話は必然的に戦争中のキャンプの話になり最近坂上さんが自費出版した写真集を囲みながら尽きない。ハート・マウンテンでのキャンプ生活をつぶさに記録した写真集でした。これはとても貴重な資料。坂上さんがキャンプ生活の中で交渉してカメラを持たせてもらい撮り貯めておいた写真をこの度写真集としてまとめた物でした。
その貴重な写真集をお別れの時には私とPJにプレゼントしてくださいました。サインをしてくれて。
私は感謝の気持ちをこめて坂上さんと奥さんの目の前で「そーらん節」を踊ることにしました。
目の前50センチの所で踊ったそーらん節にお二人はきっとビックリされたことでしょう。とても喜んでくださいました。私も何とも言えぬ熱い思いに満たされた日となりました。


夜、ミッシェルと徹君のお披露目を兼ねた歓迎パーティーがミッシェルのお家で執り行われるのでPJと共に参加。30人以上の人たちがミッシェルの家にひしめいている。ポトラックといってそれぞれが手料理を持ち寄ってのパーティー。懐かしいジーナとも再会。ほとんどが知り合いの人たちばかりで夜の更けるまで多いに語り合う。

 7月29日

ゆっくりと寝坊させてもらう。
遅い朝食をとりながらPJと何時の間にか話し込んでいた。私の今の思い。そしてPJの未来の活動。尽きることは無い。気がつくと昼になっている。
昼からはサンノゼ太鼓の事務所へ寄り、懐かしいジャパン・アメリカン・ミュージアム見学へ。ミュージアムの一番奥まった裏庭に坂上さんが寄贈した農機具が所狭しと展示されていた。どれも赤さびているが戦後間もなくの年代物ばかり。坂上さんが一生懸命手入したり作ったものばかりだった。懐かしいりんご箱もトラクターの上に山積みされて健在であった。


夜7時からサンノゼ太鼓とオン・アンサンブル・メンバーに向けてのワークショップ。
さんさ踊りだ。
作曲家のバイロン、それに太鼓コンフェレンスに先乗りできていた鼓童の秋元淳さんも楽しそうに踊っている。
休憩時にミッシェルと私の超ショートパフォーマンス。大多数の人がエミリヴィルでのパフォーマンスを見に来てくれてはいたが、見ていない人のためとエミリヴィルでは踊っていないミッシェルの踊りも見て欲しかったからだ。
曲目はミッシェルと私の「津軽じょんから節」そして徹君を含めた「そーらん節」ミッシェルの踊りで私が太鼓を叩いて「神楽」
その後の稽古は気持ちの良い汗をかきながら時間一杯まで盛り上がること盛り上がること。明日はきっと足が痛くなるだろうと言い合って終わった。
ココスで遅い夕食。帰宅後すぐに就寝。

 7月30日 昼にサクラメントに向けて出発。途中で昼食をとるが渡米して以来始めてのハンバーガーを食す。
今晩から4日間ホテル住まいだ。これは私の為にタイラーがプレゼントしてくれたもの。彼は6年前のわらび座アメリカ・ツアー以来付き合いが続いているアメリカの私の息子のような存在である。
夕食をPJ、ROY、ウイッサ、フランコのサンノゼ太鼓の面々、そして彼らの友人であるカナダの太鼓グループ、日の出太鼓のお二人と一緒にカリフォルニア・ピッツァで。食後サクラメント太鼓団の道場へ。明日から始まるコンフェレンスの準備を手伝うためだ。サクラメント太鼓団は受け入れ中心団体の一つ。しかし準備は終わっていて、かわりにサクラメント太鼓団の太鼓ジャム・コンサートのための稽古が始まると言う。その稽古を見る。サクラメント太鼓団のリーダー、ティファニータマリブチは日本で修業した女性。そのスタイルは完全な日本スタイルだ。稽古が終わってティファニーは「ワークショップをしてもらう時は連絡はどうしたらいいのですか?」と話し掛けてくる。私は「どうぞその時はここにご連絡ください」と言って名刺を差し出す。
 7月31日

早めの昼食をサンノゼ太鼓メンバーと。
3時にホテルを出発していよいよ 2003 North American Taiko Conference へ。サクラメント大学到着。受付を済ます。
少しずつ今まで会った人たちに会い始める。
4時から6時 Community Dialogue(対話)。これは早く到着した人たちによるミーティング。主催者側の挨拶が続き、やがて参加回数によってグループ分け。私は当然初めてなので1回目のグループへ。そのグループをさらに4つの小さなグループに分割。リーダーの人が進行してくれて対話が始まる。まずは自己紹介。何故このコンフェレンスに参加したのかなどを話し合う。私は最初の紹介だけは何とか英語で済ませたものの後の話し合いはギブアップ。急遽日本語が少しばかりわかる人が通訳に回ってくれる。皆太鼓経験が少なくても指導的な立場に立たなければならないという悩みを抱えている人が多く、その力を得たいという発言が続く。さらにこのチャンスを生かして友だちを沢山作りたい、という。
それがこの太鼓コンフェレンスの大きな目的の一つでもあるようだ。
日本ではとかく太鼓グループは競い合うという要素が強いが、日系人によって始まったアメリカの太鼓グループは太鼓コミュニティの要素が強く、互いに支えあって次のレベルに行こうという関わりが強い。
だから一度会った人たちはすぐに友だちになれる。
大塚千枝さんに久しぶりに出会う。
最後のまとめのミーティングは千枝さんがずっと側で通訳してくれた。助かった。
Dialogue終了後サクラメント太鼓団の道場へ移動。そこでPre−Conference Welcom Receptionが執り行われるのだ。
珍しく雨になる。道場の中は人、人、人ですし詰め。タイラーの計らいでやっと食べ物のテーブルに到着。その間も知り合いになった人たちと声を交わす。オアフ島ケニー・遠藤太鼓センターの子からレイをかけてもらう。料理はやはりポトラック形式で各太鼓グループが腕によりをかけて作ってきたご馳走がテーブルの上に山となって並べられている。ウィッサがずっと付きっきりで面倒を見てくれる。このコンフェレンスの間随分お世話になった。ありがとうウィッサ。
目の前に日本からのゲスト出演のグループ”しだら”のメンバーがいた。少しばかり会話を交わす。
食事も大方の人に行き渡りお腹が一杯になった頃を見計らって記念式典が始まる。
暑さを避けて外で見る。
やがて飛び入り参加の太鼓の演奏が始まる頃PJ、ROYと共にホテルに帰る。
10時過ぎであった。

 8月1日

いよいよ第1回目のワークショップの日。
10時15分〜オープニング・セッション。すでにホール一杯の人が参加。主催者側の話が続く。そして最後に前回までのコンフェレンスのビデオが上映された。会場は楽しい笑いに包まれた。PJが何度もインタビューに登場。それからJACCCの今は亡きリーダー、デゥエーン・エバタ氏が画面に現れると期せずして会場中から拍手が起った。感動。それに今回知り合いになった人たちが沢山登場。
私のワークショップは午後3時15分〜黒石よされ節。それまで椅子に腰掛けて体力保持の為に休憩。目の前を行き来する人たちが「ハイ」と言いながら手を上げニコッと笑って通り過ぎる。私も笑い返す。
黒石よされ節ワークショップには30人ほどの人が参加してくれた。2時間枠はアメリカでワークショップを始めて一番短い時間だ。でもみんなの覚えて楽しもうと言う意欲がすごい。ワトソンビルで黒石よされ節を覚えたイクヨさんたちがこのワークショップも受けてくれた。二人が責任を持って完璧にしてくるという任を帯びての参加。早いスピードで流し踊り、回り踊りを覚えきり、様々な構成に挑戦。もちろん皆で作るライス・フィールドも。この日は更にたわわに稔った稲を刈ることまでやってみる。それをやった上で「このように青森の人たちはこれから迎える実りの秋への期待をも込めてこの盆踊りを踊るんです」と踊りの根底に関わる話をしてみた。終わって一人一人に感想を聞いてみたところ「話がとても良くわかって大変よかった」という言葉を沢山頂いた。


夕食は近くのバッフェで。
夜はタイコ・テン・コンサート。10のタイコ・グループが10分ずつの演奏をリレーしていくのだ。今年から始まった企画らしい。グループによってかなり性格、レベルが違う。でも観客はどのグループにも惜しみない拍手を贈っていた。ケニー・遠藤のタイコ・グループの子供たちが観客を引き付けていた。

 8月2日 8時15分にホテルを出発。この所朝食はホテルのレストランでオート・ミールとバナナ、ジュースとコーヒー、プチ・ケーキが続いている。
9時〜第2回目のワークショップ。そーらん節。
昨日と同じ会場で50人ほどの人が参加。ポートランド太鼓のザックが見学に来てくれた。でも「見学はダメ、踊って」というと素直に踊りに加わってくれた。ところがドイツ系で長身のザックが意外と上手い。私も意外な発見をした気持ち。この日はタイラーもアシスタントとして参加してくれた。アシスタントはミッシェルと徹君、そしてタイラーと3人になった。大助かりであった。3人の連携プレーも時間がたつに連れて工夫が進み、タイラーが音楽に合わせて太鼓を叩き始めると今度は徹君が交代して叩いたりと以心伝心の内にタイミングを見計らって適材適所の関わり方をしてくれた。
例によって6人ずつのグループに分かれて構成稽古を始めると場所が狭くてついに廊下までワークショップ会場になってしまった。先に終わった別のワークショップの人たちが何事かと皆覗きに来る。そしてグループの発表をニコニコと笑いながら楽しんで見てくれていた。
廊下から皆覗き込んでいる。
発表する皆もかなりエキサイティングしていた。
時間がオーバーしていたので気になって「昼食の時間がきてしまいましたが最後のグループまで発表するために継続してもいいですか?」と聞くと無条件に「OK!」と返ってきた。この段階では完全にみんなの気持ちが一つになっていたのだと思う。
そして熱い熱い2時間が終わった。
ワークショップが終わった後、今日も参加していてくれていたサクラメントのトシエさんとディアボロ・太鼓のエリシエさんとが西馬音内盆踊りの稽古をつけて欲しということでしばらく一緒に稽古をする。短い時間ではあったが気持ちの良い稽古をする。その後昼食をトシエさんがご馳走してくれると言うので彼女の車でサクラメントの市街へ。美味しい中国料理をご馳走になる。
夜は市内の劇場での太鼓JAM・コンサート。初めて見るオン・アンサンブルの演奏である。
他の太鼓グループが概して力一杯の演奏を披露してくれた傾向にあって、オン・アンサンブルのステージは私の耳にはとても音楽的な演奏だったように感じた。かなり高いレベルで音楽的にも完成度が高かったのだ。観客も魅了されていた。そして終わるとスタンディング・オーベーション。
この日のコンサートで観客のスタンディング・オーベーションは3回あった。その一つがその時だったのである。
ミッシェルの創った曲”何時か・・・”はさすがに私も緊張して見ていた。
人ごとではなかったのである。
コンサートが終わると再びコンフェレンス参加者の大半がバスで大学へ。コンサートを祝して立食パーティー。
それぞれの口に食べ物と飲み物が行き渡った頃、今日のコンサートの裏方を務めていたタイラーとユミも現れた。勿論オン・アンサンブルの面々も。成功を祝して乾杯。残念ながら日本からのゲスト出演者は何処にも見当たらない。
そのうちにタイラーがビールの空き瓶を栓抜きで叩きながら会場を練り歩き始めた。聞くとこれが恒例なのだそうだ。そしてそれがやがて大きな踊りの輪にまで発展。太鼓が鳴り出してリズムは阿波おどり風。皆リズムに乗って好きに踊っている。私も踊りの輪に。やがて更にそれが一つの流れになっていく。踊られたのはPJの創った「エエジャナイカ」。ほとんどの人たちが知っている曲だ。
すごいエネルギーである。
それも真夜中。
延々と続いていた踊りが収束すると違うロビーの方で又もや太鼓が鳴り響く。次から次と叩き手が入れ替わり何時果てるとも知れない。
その頃になってやっと私は、このコンフェレンスの成功の為に頑張りつづけてきて疲れきったPJ、ROYと共にホテルに向かった。
凄まじくも充実した長い一日であった。
 8月3日

8時45分ホテル出発。Morning Taiko Jam Session が既に始まっていた。これは太鼓を叩きたい人たちが自由に集って叩き会う集い。
私達はその喧騒をのがれてロビーで待機。
10時頃から最後のミーティングが始まる。主催者側の締めくくりの挨拶。それぞれのユニークな発言が続く。ケニー・遠藤氏は演台をドラム代わりに参加者全員の足と手による演奏をリード。さすがである。ホレホレ節を歌って挨拶としたハワイの代表。
そして初参加の人たちの発言。
全ての日程が終わり、全員野外に出ての写真撮影。
散会。
それぞれ抱き合って別れを惜しむ。
私も今回知り合った人たちと又合うことを約束しながらミッシェルの運転で会場を離れた。
おばあちゃんのお家へ。
サクラメントからすぐ近くのヴァカヴィルという街におばあちゃんは住んでいるのだ。
おばあちゃんは私を待ちに待っていてくれました。
この日私はおばあちゃんの為に日本から運んできた和紙人形をようやく手渡すことが出来ました。
人形は秋田の和紙人形作家の方が心を込めて製作して下さった西馬音内盆踊りを踊っている人形。
やっと大きな肩の荷を下ろすことができました。

 8月4日 ミッシェルのおばあちゃんのお家で一日休み。
おばあちゃんととりとめの無い話に花が咲く。
エリックと友だちのハナがミッシェルに会いに来る。
一緒に昼食。
夜遅くにバイロンが来る。
しばらくおしゃべり。

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