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バンカラの話

 高校時代までを秋田ですごしたわたしが岩手に移り住んだころ、岩手の親しい友人と多く論じ合った一つに、こんなことがありました。

 岩手大学正門のむこうがわに、盛岡一高(以下「一高」)という歴史ある高校があり、ここは県内では一番の大学合格率を誇る名門進学校と聞きました。歴史という意味では、わたしの卒業した高校も古い学校(オンポロという意味ではない)でしたから、ある種のライバル意識みたいなものを感じましたが、その生徒の風貌をまじかに見たとき、おもわずその生徒が見えなくなるまで目を釘づけにされました。
 その生徒は、肩までのばした髪にまるでポロ雑巾をのっけたような学生帽、つばはヨレヨレでうしろのほうは頭のてっペんまでさけています。学生服はもう何年も(何十年も?)洗濯していないような、黒というよりグレーに近い年代物。ズボンの腰から手拭いをぶら下げ、はだしに下駄履き、とどめは学生マント。そして自転車を軽快にとばして走り去ったのです。友人いわく、岩手にはこういう“伝統”的な高校が多いというので、またまた驚いてしまいました。そう思ってよくよく見ると、さっきのようないわゆる「バンカラスタイル」の高校生がたくさんいます。新入生の男の子は全員、丸ボウズやモヒカン刈りにされるとか…?この一件で、このあとも何かにつけて行きつく『秋田VS岩手』論争が口火を切りました。
 「伝統というのは昔の姿かたちをマネることではなく、その根底に流れる精神を受け継ぐことだろう!」。
 おそらく明治時代に創立されたこれらの高校は、当時、あらゆる意味で文化の躍進を担い、そこに学ぶ生徒のスタイルも「自主自立」「自由と創造」を求めて生まれたものだったでしょう。そうした精神を引き継ぎ、それぞれの時代のなかでそれが表現されていくのが伝統であるはずなのに、伝統と称して100年前の表面上のスタイルだけをマネて満足しているのは情けないと、たしか以前、生徒会の論争で制服自由化を勝ちとった秋田市内の高校の話まで持ち出し、時代の先駆たる秋田の代表みたいな気分でツバをとばしていました。
 11時をまわると開いている飲み屋も少ない盛岡の大通りを、いかにも学生という人目を気にしないかっこうで歩さまわり、しかたなく友人の四畳半にすわれば、きまってこんな話ばかり。
 翌年東北新幹線が開通すると、県都にしてはめずらしく落ちついた街「盛岡」は、しだいに活気にみちて、若者のふんいきも変わってきました。一高生も、例のバンカラは応援団幹部の一部の子たちだけで、街中ではめったに見られなくなり、逆に何となくさみしさを憶える自分にふと気づきます。それどころか、卒業してからときどき訪れる大学のキャンパスは、男の子も女の子も年々原宿がひっこしてきたようで、以前のようにジャージ(トレパン)にセーター、上着はドンブク(綿入のハンテン)といういでたちの学生はひとりもおらず、母校ながら居心地のわるさを感じることもしばしば…。昨年には一高の女の子の問いかけから、これも伝統的に続いていた学校祭での土人踊りの行列が姿を消しました。丸ボウズやモヒカン刈りの一年生男子がハダカにメイクして街を練り歩くこの行事が、本当に伝統と言えるのか、異人種蔑視かと、論争は校内におさまらず、新聞紙上の「声の欄」を借りて県民全体の討論になっていったのです。

 今年夏、わたしは14年ぶりにふたたび秋田に移り住むことになりました。保守一辺倒から変化をみせる岩手と、わたしが「秋田は…秋田は…」と自慢してさた秋田の今とを見くらべて、なんだか戸惑っています。

佐々木達哉
1960年生まれ。
今年8月から田沢湖畔に住み着く
喫茶&ペンション・オーナー

1993年11月26日 週刊アキタ「秋田論壇」から 

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