大曲市で「愛に支えられた第二の人生」を講演
障害者になってからこそ良く生きられる機会が増えた(10月1日・金)
「障害者になったからと落ち込んだり絶望したり、泣いてばかりはしないで下さい。体のどこかが劣っても残された機能に期待し、その部分を鍛える努力をして社会に貢献しよう。そして健常者も障害のある人たちと接して、理解度を高めて下さい。私は車いすの生活になった分、本を読み、コンピューターを勉強し、障害者になってからかえってより良く生きる機会を与えてもらったと思っている」。簡易保険加入者協会(石川勝三会長)主催の「Kampo鈴木ひとみの講演=車椅子からの出発 愛に支えられた第二の人生」が1日午後1時半から広域交流センターであり、多くの聴衆は鈴木さんの勇気ある生き方に強く深く感銘し、感動に包まれていた。
「一年遅れのウェディングベル」などの著書があり、「車椅子の花嫁」としてテレビドラマ化され、身障者のための理解度を高めようと全国を回って講演活動をしている鈴木さんは1962年、大阪で生まれた。銀行員として勤務していた1982年にミス・インターナショナル準日本代表に選出され、83年からはファッションモデルとして活躍していたが、84年に撮影のためカメラマンの運転する車に乗っていて事故に遭い、脊椎を骨折、車いすの生活となった。治療先の病院で「足を動かす神経が切れているため、君の足はもう動かないだろう」と言われた時は「朝が来るのさえ嫌だった。足が動かないという現実を直視しなければならず、泣くことさえ忘れた。こんな体では生きていても仕方ないとさえ思った。でも何とかリハビリを受けてみて、それでも動かないなら死のうと思った」と鈴木さん。
「22歳の女の子ですよ。結婚のことも考えたし、母親になることも想像した。それを思うと事故で失ったものは余りにも大きかった」とも言った。見舞いに来る人たちは「頑張ればいつかは歩けると励ました。しかし、事故に遭う前から婚約していた現在の夫はそんな励ましはひと言も言わず、どうしたら病院での生活が快適に過ごせるか工夫した。そして足ばかりでなく両手の動きさえ自由にならない私に『これからはフォークでなく“はし”を使って食べなさい』と子どものしつけ用のはしを手渡し、訓練させた」と勇気づけられた当時の生活を語った。
しかし、下半身の障害を思うと恋人との結婚ももう絶望的だと泣き、ひとみさんは当時の彼に手紙を出す。手紙を読んだ彼は「何でもいい。希望と可能性を見つけてほしい。二人で何にでも挑戦してみよう。それでもだめだったら一緒に二人で死のう」と返事を書いてきた。「私のために泣いてくれる人がいる。倒れたら支えてくれる人がいる。この人と一緒に生きよう」とひとみさんは結婚を決意。さらに彼のお母さんも一人っ子なのに「息子にとって大事な人は私にとっても大切な人ですよ」と結婚に反対しなかったことも講演で披露、聴衆の感動を呼んだ。
ひとみさんは下半身は動かなくても両手は動かせると両腕を鍛えた。そして85年鳥取での身障者の国体に出場、スラローム・60メートル走の2種目で大会新記録で優勝。87年イギリスで行われた「国際ストーク・マンデビル競技大会(車椅子競技の世界大会)」で金メダルを獲得。98年の神奈川県の身障者の国体ではビーム・ライフルで出場とスポーツでも大活躍した。今も水泳とスキューバダイビングを楽しんでいるという。「水泳をやる時は恐かった。下半身が利かないから簡単におぼれてしまう可能性がある。でも泳げるまで指導を受け、今では平泳ぎで100メートルから300メートル泳げる」と鍛えることによって健常者に負けない体力を持てることも披露。
そして車いす生活になった当初、当時の彼は「私をどんどん外に出そうとした。日本の人たちは障害者を見ると興味と好奇心の交じった目で見る。私もそんな目で見られ、人と顔を合わせるとすぐに下を見た。でも下ばかり見ていてはだめだと思い返した。人に見られるのも一つのチャンスだと思い、笑顔で見返した」と言い、病院での治療を終える直前に自動車教習場に通って「私でも運転できる車を改造してもらい行動範囲を広げた」と聴いている人たちを驚かせた。
さらにスーパーや公共施設にある車いす用の駐車場に一般の人に車を止められたり、車のすぐそばに車を駐車された時のことを「私たち車いすに乗っている人たちはドアを目いっぱいに開ける。だから身障者用の車だと思ったら隣に駐車する時はドアのスペースを幅広く取ってほしい」と協力を求めた。また、車いす用のトイレでもその立場に立った設計でなかったり、むだな所にお金をかけているとも指摘した。そして鈴木さんは「健常者と言っても、中国語をしゃべれない人が中国にいったら言語障害になるように、だれだって障害を持つ可能性はある。日本人は障害者だと、腫れ物に触るような態度を取る。これでは成熟した社会ではない」とも訴え、テレビでも「身障者のスポーツをもっと取り上げ、理解を深めてもらうようにすべきだ」とも語った。
そして日本の母親は子どもから「あの人はどうして車いすに乗っているの?と聞かれたらきっと『そんなことを口にするものじゃありません』と注意するでしょう。アメリカでは違う。アメリカに行った時、向こうのお母さんが『うちの子どもがあなたの車いすに興味を示しているので見せてもらえませんか』と言ってきた。私は嬉しくなってその子の前でぐるっと一回りした」とも語り共感を呼んでいた。