訓練その2 津軽じょんから節

秋田おばこが少しずつ踊りなれてきた頃、津軽じょんから節の訓練に入る。
この頃はそーらん節、秋田おばこの復習、そして津軽じょんから節を覚える・・・という流れで毎日稽古が進んだ。
そーらん節は身体をダイナミックに使う。
秋田おばこはゆったりと、しかし手の返しや足拍子はてきぱきと。
津軽じょんから節はさらにテンポが速く、踊りの手順もより複雑に且つ活発になってゆく。
日本の民舞はそれぞれの地域の特徴が濃厚だから、それぞれの特徴をその曲ごとにつかんでゆく他無い。
そしてそれをこなして行く中で踊る身体というものを自分の身体の中で発見し、統合させてゆく。
そうした経験への挑戦が三度始まったのである。

津軽じょんから節

同じ東北の手踊りと言っても「秋田」と「青森津軽」ではまったく違う。
最初、その違いを踊り分けるのに苦労したと思う。
どの曲でもその曲の訓練の始めはその踊りの特徴を「ああこんな曲なんだ」とつかむまで時間がかかるもの。
その感じが判ってくると後はそれまで出てきたものの繰り返しがあったり応用を利かせることが出来るのだが。
小澤さんもその点では大分苦労したことだろう。

まずは津軽じょんから節旧節の踊り方から始まった。
この津軽じょんから節を私は便宜上振りを5番に分けて教えている。
後はその繰り返し。
1番は上にも書いたようにじょんからのまず特徴をつかむのに多少時間がかかった。
しかし彼女が一番苦戦したのは3番。
1カウントごとに振りが次々と変わってゆく、その運びに慣れるまでとても苦労した。
1番から5番全部を通して踊れるようになってもひょんな時に3番で引っかかってしまう確立が高い。
それは随分長く続いたようにも思う。
それでも訓練を始めて半月後位には大分良くなってきた。
そこでさらに中節の踊り方に入った。
私がパフォーマンスをする時は津軽じょんから節を旧節の曲で旧節・中節と振りを続けて構成して踊っているのですがそれを彼女にも伝えるためだ。
中節の踊り方は旧節の手をより込み入った手振りに発展させたもの。
各番のカウントも旧節より多くなる。
悪くすると混乱して踊れなくなってしまう危険もある。
それでも努力家の彼女は自習で不安なところを繰り返し繰り返し稽古してきた。
その成果があって中節は思ったよりも早く覚えることが出来た。
しかしやっぱり3番がどうも不安そう。
何故か順調に踊っていてもふっとそこで引っかかってしまうことがあるのだ。
そうした不安の気持ちはパフォーマンスで踊るようになっても随分後まで引きずったように思う。
ですからその後パフォーマンスをする時が何度かあったのですが、他の秋田おばこやそーらん節はソロで踊ってもらったがこのじょんから節だけはしばらく私が一緒に踊った。
そんな不安要素があっても踊りは随分良くなった。
私が言うことは何時も一緒「ステップをしっかり踏んで・・・手の返しをはっきり・・・手を大きく回して・・・等々」
そうしたことに果敢に挑戦し続けた彼女の踊りも変わってきた。
そして面白いことに津軽じょんから節が良くなるにつれ秋田おばこも良くなっていったのです。


一応ここ3曲(そーらん節・秋田おばこ・津軽じょんから節)までは入門編という感じ。
それぞれに難しい踊りではあるのですがまずはずっと基礎の身体を作る感じで訓練を続けてきた。
それは日を追う毎に彼女の身体に染み入って大きな成果を上げてきているようだった。
ここまでが訓練開始からほぼ2ヶ月。
丁度その頃に神代の豆腐工房豆太から(私の息子夫婦がやっている豆腐工房なもので)「豆太祭り」 で踊ってくれないかとのリクエスト。
習った踊りを全部披露する良い機会となりました。
この経験が彼女のその後の訓練に拍車をかけたのは言うまでもありません。

小澤さん最初のパフォーマンス「豆太祭り」で

そこでさらに次の「さんさ踊り」の訓練も開始。

次回へ続く〜