秋田に住みついて2,3日後の4月18日からいよいよ訓練開始。
彼女はどちらかというと小柄。
そして若干肉付きが良い。
太鼓をやっていたから体力はあるはず。
しかし踊りの動き的には身体使いが柔らかすぎるほど柔らかい。
踊りは全身の筋肉を隅々までコントロールし、適度な緊張感が必要となってくる。
太鼓を専門にやっていたから瞬発力などはあるはず。
またリズムは悪くない。
けれど見た目にはそれが筋肉の動きとなって見て取れない。
結果として踊りの重要な要素、止め・・・が利かないということと結びついてくる。
それが最大の課題・・・と以前に「こきりこ節」をやった時に感じていた。
そこでまず初日はよりシンプルな盆踊りから訓練を開始した。
まあウオーミングアップのようなものである。
(これは今までマンツーマンで集中訓練をしてきたケースとしては始めての試み)
曲は相馬盆踊りと郡上川崎。
相馬盆踊りは「右出して左出して真ん中、引っ込めて足踏み左右チョン 」という口しょうがで一通りが踊れるだけの簡単な振り。
順番を覚えるにはさして難しいものではない。
(とは言っても人によりけりであるが)
振りもいわばポピュラーな盆踊りの手が出てくる。
彼女はそんなに時間をかけずに難なくこなした。
軽快な音楽に合わせて踊り慣れてくると身体の中でその音楽のリズムが少しずつ波打ってくるのが感じられた。
そうなってくるとしめたもの、少し動きに締りが感じられるようになって私は内心ホッ。
彼女の理解力、適応力に信頼が持てたからである。
余談であるがわらび座では演技者になるために入座テストというものがある。
現在は養成所だから養成所テストであるが。
現在はどのような方法によって行っているのかは知らないが 「相馬盆踊り」はかつて、舞踊テストの課題曲だった時期が長く続いた。
私もこの「相馬盆踊り」で舞踊テストを受けた。(40年前のことです)
つまり舞踊テストの担当者がほんとに短時間でこの盆踊りの手ほどきをする。
その後その覚えたばかりの踊りを一人で踊らせられるのである。
今でも忘れられない思い出である。
さて相馬盆踊りが踊りなれてきた頃を見計らって2曲目「川崎」へ。
これはやや前曲より微妙な手振りとステップの曲。
つぼにはまった動きとまでは行かないけれど、それでもまあ順当に覚えて初日の稽古は終わった。
1曲をある程度覚えたら完成度を高めるために引き続き訓練を継続しながら、平行して次の曲を覚える作業も開始する・・・これが私のやり方である。
翌日から本格的に民舞の訓練として身体作りもかねた「そーらん節」が始まった。
「相馬盆踊り「「郡上川崎」は4日間稽古が続いて終了。
下半身の強化、重心のダイナミックな移動、労働作業の振りに伴う力のこもった身体使い、労働の苦労や喜びを生に感じて踊ることによる心の開放。
そうした内容を得てもらいたくて「そーらん節」から本格的な訓練は開始した。
どんな踊りでも踊っている人のエネルギーがしっかり伝わる踊りになるためには芯から身体を動かす必要があるからだ。
彼女は膝に若干不安をかかえていた。
それを更に痛めないように気を配りながらも、かなりきつい訓練にあえて挑んでもらった。
腰をしっかり割り重心を床と平行に移動する訓練。
軸足をしっかり伸ばしたまま片足をあげる訓練。
そうした基本の動きを毎日回数を増やしながら最初に行う。
4月の秋田ですが彼女は汗だくになりながらこなしていく。
踊りの訓練になるとやはり中々止めの動きが止まらない。
全体的な身体使いの印象がマシュマロのようにフワッとしている。
という状態をいかに抜け出すか・・・それとの格闘の日々が続いた。
それに付随して身体全体のまとまりに欠かせない目使いの課題が出てきた。
目線が決まらないと身体全体も決まらないのである。
その先の訓練でも中心的な課題となった、ほとんど基本的な彼女の乗り越えるべき課題が当初から出揃ったのだ。
しかし彼女は決して根を上げずに粘り強く訓練に臨んだ。
宿泊先での自主稽古を決して怠らず、納得できないところは何度ももう一回と繰り返して踊りなおす努力が少しずつ実を結び始め、そーらん節の稽古開始から20日位過ぎたあたりには見違えるような踊り方になっていった。(少しほめすぎかな?)
要求されたことが身体にしみこんできたのだ。
またしみこむ為にはそれだけの時間が必要だったのかもしれない。
彼女は女性ですから男性的にごつごつとした感じでは踊れないけれど必要な力感が出て来るようになってきたのです。
その頃にはそーらん節の歌も稽古をしていたし、太鼓のリズムもそもそも太鼓の人だから難なくこなし、そーらん節の全体像がつかめていた。
そこで歌いながら踊る訓練も開始。
これは結構きつかったようで4番まで歌いながら踊り通すことは大変だった。
4番くらいになると息が切れて踊りも歌もエネルギーが半減していくのだ。
これは仕方が無いといえば仕方の無いこと。
なにしろ訓練を開始したばかりなのだから。
ダイナミックに踊りながら歌い通すには無駄の無い安定した動きとある程度鍛え上げられた筋力が必要だからです。
その上に腹筋で支えられた息も。
ということでそれ以上は無理をせずに再度踊りだけの訓練にもどった。
そうした頃には振りに伴った感情も大分出るようになってきた。
そうなったら後は実践の力を借りるのが一番。
その後色々なところでやったパフォーマンスではあえて彼女一人で踊ってもらい、結果として大切な彼女のレパートリーとなっていったのです。
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そーらん節が順調に進みはじめた5月5日から並行して「秋田おばこ」の稽古を開始した。
そーらん節とは正反対とも思える女性的でしなやかな踊り。
秋田の代表的な手踊りである。
手踊りである以上手の美しい動きが求められる。
特に秋田の手踊りは独特な手の返しが美しい。
これの代表的なものは、たとえば両手を顔の前で返す動きというのがあったとする。
両手の甲を一旦おでこの前で自分の方に向けてかざし、音楽のタイミングで両手を瞬時に裏返し手の平が今度はおでこの方をむき甲を反対に外側に向けるのである。
その時に人差し指から小指までの4本の指は綺麗にそろっていて且つしなっていなければならず親指はその4本の指の内側に隠れていなければならない。
そうして手の動きを強調することで働く女性の労働で鍛え上げられた手の美しさを存分に発揮するのである。
それだけではない、それが決まったら素早く次には流れるような曲線または直線を描いて次の手の返しへと続き、その繰り返しで見事な秋田独特の踊りの美しさを織り上げていくのです。
今回は早めに歌も覚えながら踊れるようにしてみました。
激しさはありませんがそーらん節に比べるとステップと手の間合いの合わせ方が単純ではありません。
歌のフレーズを理解しないとその突き合せに苦労します。
ところが歌としても大変難しい曲。
CDの歌を録音してもらい一生懸命聞いてもらいました。
我が家では必ず私の三味線にあわせて歌ってもらいました。
発見したのは彼女の声はとても良い声をしている・・・ということ。
それはその後彼女と一緒に演奏した八丈太鼓での彼女の歌で何度も確認いたしました。
でもこぶしを利かせて上がり下がりするメロディはとても難しい。
それでも一生懸命稽古を続けた彼女、何とか歌えるようになりました。
踊りは最初の手の返しから、そのニュアンスをつかむのに苦労しました。
また足をトンと踏みながら手を返すという踊り方も随所に出てくるのですがこの足の踏みがどうも力強くない。
かかとを中心に足の裏全体に腰をのせて踏むとトンと気持ちの良い音が出るはずです。
それが音がでないのです。
これはさらに次の「津軽じょんから節」でもっと強く要求されるのですが、そうした一つ一つの要素をどうしたら解決できるか、という突き詰めを時間をかけながら繰り返した。
そうして1番が踊れるようになるまでかかったのが一週間。
2番もたっぷり時間をかけて徐々に徐々におばこらしい踊りへと変化していきました。
しかし民舞は奥が深いのですね。
その後パフォーマンスで人前で踊る機会があるたびに復習してみると、その都度踊りの特徴がやや薄れていたり自主稽古を熱心にやっているうちに少しずつ振りが変化していたり・・・と思わぬ出来事が起こってくるのです。
でもこれは今の段階で仕方の無いこと。
身体に叩き込んで叩き込んで完全に肉体化されるまで刷り込んでいった果てに自分の息と一体化し押しも押されもしないその踊りが確立していくのですから。
それには長い時間と経験も必要。
継続の力なのですね。
でもそうなったらしめたもの。
どんなに年月のブランクがあっても身体はしっかりと覚えていてくれるのです。
何時の日かそうした日が訪れることを願って稽古稽古の日々を続けるしかないのですね。
彼女はその点では大変稽古熱心ですからきっと大丈夫でしょう。
また踊るごとに大好きになっていくようです。
彼女の大切な一曲になることでしょう。
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