アメリカ・ワークショップ・ツアー報告 2

2005 Fall Workshop Tour
September−October


モントリオールでは観光も

ツアー日記(2) サクラメント〜オグデンそしてついにカナダへ

2005年9月26日 さてポートランドでのコンサートの興奮がまださめやらぬ本日、私は再び機上の人となりました。
アラスカ・エアラインでサクラメントへ。
サクラメントはカリフォルニア州の州都。
そこの民謡グループ さくら民謡同好会 でのワークショップ。
空港に迎えに来てくれていたケイコさんの車でワークショップ会場へ直行。
ポートランドは寒い土地でしたがカリフォルニアに降り立った瞬間むっとするような暑さ、隣り合った州でありながらその違いに驚きながら会場に着くと丁度タイミング良く主催者のトシエさんとご主人のゴロウさんも到着。
さっそくその場で用意してくださった昼食をいただき4時30分からワークショップ開始。
メンバーは高齢者から中年。
中に一人若い男性、アランがいる。
今日の稽古は「津軽じょんから節」
今までミッシェルが何度かロサンゼルスから教えに通っていたのですでに発表はしているという。
まずはそれを見せてもらうことから始まった。
順番は入っているのだけれど踊り方がどうもじょんからとはイメージが遠いので、結局最初から基本的な踊り方の説明と稽古。
メンバーの中にはサクラメント太鼓団というアメリカではちょっと名の通っている太鼓グループのメンバーだった人も数人いてきつい動きにもついてこれる。
けれど年配の人方には多少の配慮が必要。
それでも一生懸命稽古についてくる。
最高齢だというご婦人が最後列で黙々と踊りつづけてくれた。
夕食タイムを挟んで夜8時半までみんな根を上げずにがんばった。
その夜はトシエさんの家にホームステイ。
トシエさんはその名が示すとおり日系の方でサクラメントで長年民謡グループを引っ張ってこられました。
日本の踊りにかける情熱をもった素晴らしい方です。
トシエさん
2年前のツアーの時にエミリービルでのパフォーマンスとワークショップにサクラメントから駆けつけてくださり、始めて出会た時から精力的に踊る姿にびっくりしたのを覚えております。
それから数週間後、サクラメントで開催された2003年北米太鼓カンファレンスで再びお会いしその時も私のワークショップを受けてくださいました。
その時は「そーらん節」と「黒石よされ」
昼食時には西馬音内盆踊りを大急ぎで手ほどきしたのも懐かしい思い出です。
そのことがあって今回のワークショップが実現したのです。
かつては日本から踊りのお師匠さんが定期的に来てくれていたそうですが、今はその方々もみな高齢になってどなたも教えに来てくれない・・・とさびしそうにおっしゃっておられました。
そんなトシエさんの思いに何とか応えたいと痛感しつつ彼女の仕事部屋で就寝。
        27日

午前トシエさんがイギリス式のレストランに連れて行ってくださり朝食をそこでいただく。
その後私のリクエストでオールド・サクラメント、つまり古い町並みを残している所へ連れて行ってくれる。
以前何かの雑誌でその町並みの美しさを見たことがあり一度行ってみたいと思っていたからである。
歩道が全部板張りで古いハリウッド映画に出てきそうな雰囲気が漂っている。
オールド・サクラメントに立つ私です
そこの一隅にある鉄道ミュージアムもトシエさんの好意で見学。
西部開拓の時代を思わせる巨大な汽車が所狭しと展示されていた。
すべてが大きい。
11時30分にミッシェルと落ち合って隣町に住むおばあちゃんの家へお昼をご馳走になりにゆく。
心臓が弱いながらもお一人で住んでおられるおばあちゃんと懐かしい再会。
バラの花が咲く手入れの行き届いた庭と手作りの人形たちに囲まれておばあちゃんは私を身内のように歓待してくれた。
きんぴらゴボウやおでんなどがテーブルに並べられている。
おばあちゃんの家族の歴史などを聞かせてもらい、お礼に「そーらん節」をプレゼント。
再び4時半からのワークショップに向けて会場へ戻る。
今日はステファニーという中学生くらいの女の子が初参加。
彼女のためにもう一度「津軽じょんから節」をあたる。
その後引き続き「そーらん節」
2年前のワークショップでは1,2番だけだったのだがビデオをみながら自分たちで3,4番も踊っているという。
それを拝見。
ところどころ解釈がまったく違うところがあるのでそれを修正。
みな熱心について踊ってくれる。
時間が差し迫ってくる中「こきりこ節」を教えて欲しいということに。
手踊り、こきりこ棒の踊りは覚えたのだがビンザサラの踊りがわからないという。
ついでに手踊り、こきりこ棒の踊りも手直しをしながらビンザサラの踊りを指導。
この日はディアボロ・シンム太鼓のエリーシエも参加していて「こきりこ節」を大変気に入ってくれる。
ディアボロ・シンム太鼓は前回西馬音内盆踊りのワークショップをしたところだ。
2日間ともトシエのだんなさん、ゴロウがビデオ・カメラをずっと回しつづけていてくれる。
かなりの高齢であるのに・・・本当にご苦労様でした。
ワークショップが終わりトシエ宅に帰宅後私は翌日のフライトのために荷物の整理。
翌日は早朝起きだ。

        28日 5時半頃には起床、空港に向かう。
サクラメントからフィニックスを経由してソルトレイク・シティ空港へ。
12時58分着。
ただしここはアメリカ国内とはいえ時差が1時間。
前回時計の針を合わせるのをわすれて約束の時間に準備が出来ていなかったこともあり用心に用心を、と腕時計の針を進める。
ところがである・・・目覚まし時計を合わせわすれて今回もまたまた失敗。
ミッシェルに笑われてしまったのはその後のこと。
さて空港で前回と同じくルースが出迎えてくれる。
その足で昼食。
めずらしいものをということでブラジル・レストランへ案内してくれる。
肉が欲しいという時はテーブルの上の目印を立てておくと次から次と串刺しにされた焼きたてのいろいろな肉を手にした男性が現れる。
欲しければその場でナイフでカットしてもらってお皿に。
そこで運ばれてきたパインのソテーの美味かったこと。
1ヶ月間のツアーをしているとまだ行ったことが無いところ・・・といろいろなレストランへ連れて行ってもらえるので様々な国の料理を味わえるのも楽しみの一つだ。
さてお腹も満足させてその後はホテルにて若干の休息。
ここオグデンだけは今回のツアー唯一のホテル宿泊なのでした。
そして5時半の迎えで例時計合わせ忘れ事件・・・。(笑うしかありませんでした)
会場はオグデンの仏教教会。
前回の顔ぶれが何人も見える。
オグデン初日、2列目右から4人目がスタン
本日のワークショップは「そーらん節」
前回もやったものだ。
だが前回私たちが帰った後、ビデオでチェックしようと思ったらビデオを撮った方の家の愛犬にかじられてテープが壊れてしまい・・・復習できずに今ではすっかり忘れたという。
そこで再度挑戦というわけである。
ところが練習し始めるとみなさんさすがに思い出すのが早く、盛り上がりは凄いものがありました。
中でもやはりスタンという男性がおお張り切り。
彼はオグデン仏教会太鼓グループのリーダーで前回もそーらん節で非常にエキサイトした人。
彼の小学生くらいの娘、お母さんと親子3代そろって参加しており(前回同様)楽しんだというわけである。
全体24人程の人が掛け声も見事にあわせてダイナミックに踊ってくれました。
中に初参加のソルトレイク・シティにある大学の学生が数人とその先生が参加。
彼女たちは授業でダンスを習っていて何か一つ違う国の踊りを覚えて発表しなければならないとか。
丁度グッド・タイミングだった訳である。
先生はそーらん節の歴史的背景などを詳しく聞きたいということで翌日インタビューを受けることに。
        29日 午前中はホテルでのんびりする。
昼にルースが迎えに来てくれてソルトレイク・シティへ。
2002年に開催された冬季オリンピックの記念スタジアムを見学。
これは日本でもテレビ放映されたので私も良く覚えていた。
アメリカの開拓の歴史を繰り広げたのを興味深く見たものだった。
昼食を今度はシーフードのレストランで。
その後ルースの家へより、再びホテルで小休止。
アメリカは自分の家に人を招待した時、つぶさにその部屋を案内してまわり説明するのが普通なのです。
夜2日目のワークショップ。
本日も20数名の参加。
今日はシンプルなフォークダンスのワークショップ。
ところが最初の「どたればち(津軽甚句)」でかなり苦戦している人もいる。
そーらん節の方が難しい踊りなのに・・・不思議ですね。
「ハイヤ節」は結構アメリカ人好み。
途中円陣を組んですわってもらい即興での踊りに挑戦してもらう。
これはその後「ハイヤ節」ワークショップでは定番になるのだがどこでも多いに盛り上がる。
私がミッシェルの太鼓に合わせて手ぬぐいを持って踊り始め、その手ぬぐいを次に踊ってもらいたい人の首に引っ掛けて円陣の中に引き出しバトンタッチするのだ。
これは地元牛深市でも古い形としておじいちゃん、おばあちゃんたちが守り継いでいる形。
顔見知りの人が繰り広げるユニークな踊り方に皆多いに笑い転げる・・・本当に楽しいものだ。
最後はしっとりと郡上・かわさき。

和気藹々とした中で無事にワークショップも終わり、受け入れの人たち数人とパンケーキの店へ。
翌朝はまたまた早朝出発だ。
けれど彼たちの好意のあらわれ・・・と私たちも一緒に甘〜いパンケーキを頂いた次第。
11時頃にホテル着。
        30日 4時15分起床。
4時50分ホテル発。
今日はシカゴ乗り継ぎでモントリオールへ。
初めてのカナダ入りだ。
モントリオール3時02分着。
ここはさらに時差が進んで・・・?時間差、あまりに違うので良く覚えていません!
アラシ太鼓の中心メンバー幹生とクリスチャンが空港で出迎えてくれる。
幹生は日本人でモントリオールで寿司職人として活躍しているのだそうだ。
クリスチァンは小さな劇場で働いていてその企画などを担当している人、ダンサーでもあるとか。
早速クリスチャンの家で昼食をご馳走になる。
6時30分二人に案内されてワークショップ会場に入っていくとアラシ太鼓メンバーのお囃子と踊りが始まり、一気に歓迎ムード。
最初は歓迎されるまま喜んで見ていた私とミッシェルもさっそく踊りの輪の中に入り皆に混じって踊る。
みんなとの距離が一気に縮まった感じ。
クリスチャンと幹生
そして私とミッシェルとによる今回のワークショップの曲目と日本の民族舞踊の紹介コーナー。
少し長時間になったが白板に日本地図などを書きながら解説、そしてその曲を踊って紹介する・・・という試み。
これがとても興味をもたれ喜ばれた。
そして残った時間で待ちに待った踊りを開始。
最初はハイヤ節。
例によって即興踊りも交えてである。
それから「春駒」
「郡上・かわさき」
多いに盛り上がりつつ初日のワークショップは無事に終わる。
アラシ太鼓の特徴は皆とても和やかで人柄が良いこと。(もちろんそれはどのグループもそうであったが・・・何か特別そういう感じを受けた)
再び幹生とクリスチャンと私とミッシェル4人で幹生の店により特注の「寿司」を受け取って幹生宅でいただく。
私のホームステイ先は彼の家である。
この寿司が大変美味かったのだ。
本格派である。
モントリオールでは彼はとても有名な寿司職人なのだそうだ。
二人の人柄がグループの特徴を形作っているといっても差し支えがないと後で判ったのだが本当に心から丁寧にもてなしてくれた。
人と人の繋がりを大切にしていることが心底身についているんだな・・・と心から思った次第。
そうそうここモントリオールのアラシ太鼓には日本語を話せる人や日本人が結構いる・・・ということも新しい発見であった。
彼の家を我が家のように気兼ねなしに使わせてもらって・・・その日はぐっすりと眠りに・・・ご苦労様でした。
     10月 1日

ワークショップ2日目。
幹生の手料理の朝食、オムレツとジャガイモのソテーそれにクロワッサンというシンプルなメニューだがこれがすこぶる美味い。
さすがプロ、味付けが抜群。
今日は朝9時30分から4時30分まで「さんさ踊り3拍子」だ。
ワークショップは手踊りから。
午前中一杯かかって何とか全体が踊れるようになる。
昼食は会場の地下。
やはり持ち寄りのポトラック方式。
全員で楽しく食べる。
突然最古参の方から唄が飛び出す。
それはなんと「貝殻節」であった。
途中から私が傘踊りの振りをあわせて踊ったりで和やかに昼食。
ところが昼食後もう一度手踊りを踊ってもらったらみんなすっかりテンデンバラバラ。
先ほどの昼食タイムですっかり集中が途切れてしまったのですね。
気を引き締めて再度確認作業をし、いよいよ太鼓の稽古へ。
最初はミッシェルに稽古の進行を頼み私は笛を付き合いにイザベラという女性とマン・ツー・マン稽古。
彼女はアイルランド音楽をフルートで吹きこなすという人で楽譜はまったく読めない。
つまりすべてを耳で聞き取って自分のものにするのだそうだ。
その為に一通りメロディーを伝授した後はテレコにダビングした音を頼りに自主稽古なのでした。
太鼓の稽古に戻ってみるとなれない横打ちにみな大変苦労している。
それを見ながら私は2年前のシアトルでのさんさ踊りワークショップを思い出していた。
あの時も皆大変苦労したものです。
でもその人たちが頑張って2年間稽古を続けて、今年はさらにレベルアップし様と私を待ち受けていてくれるのです。
ここアラシ太鼓もそうなることを願って皆を叱咤激励する。
どうにかこうにか叩けるようになったところで手踊りと組み合わせて見たり、笛と合わせてみたり・・・というところで本日のワークショップは終了。
汗も乾かないうちに私とミッシェルはモントリオール観光へ出発。
どうしてもモントリオールを案内したい・・・という熱烈なアタックがあったからだ。
案内役はクリスチャンと日本人の嘉代さん。
彼女のご主人はカナダ人・・・で彼女の仕事はプロのツアー・ガイド。
観光案内にはこれ以上はないというベスト・メンバー。
最初にモントリオールにたった一つしかないという小高い山へ。
といってもこれは小高い丘・・・という感じ。
モントリオールの丘
そこは公園になっていて、そこからモントリオール市内が一望できるという。
綺麗な町並みを抜けて車を乗りつけると土曜日ということもあってのんびり散策する人、観光客で一杯であった。
そこから市内を眺め、説明を受ける。
モントリオールは二つの川の中州に出来た都市だということだ。
そこで見た景色は翌日体験させてもらった陶芸絵付けのモチーフになって思い出として残ることになった。
それは明日・・・のこと。
その丘から次はクリスチャンの働いている劇場を見学し、いよいよオールド・モントリオールへ。
美しくユニークな階段が建物の前面に張り出している独特の古い町並み。
素敵なところでした。
  綺麗なフランス風な町並み 
アイスクリームを食べたり、散策したり、プロの彼女の説明を聞きながらすっかり観光気分にひたった一時・・・楽しかった〜!!
途中車窓から「あれが有名なシルク・ド・ソレイユのサーカス学校よ」と教えられミッシェルはそれまで見せたことが無いような歓声をあげてものすごいはしゃぎ様。
私もびっくり!!
観光が終わると皆が待っている夕食会場へ。
中華料理店でメンバーと一緒の夕食会なのです。
通訳なしでは難しい対話が成り立たないのでたくさんの方とお話は出来なかったのですが、料理に会話にとこれまた楽しい一時でした。

日本人の嘉代さんは日本にいる時には民謡や民族舞踊、太鼓に興味は無かったのですがカナダに来てその良さを知った・・・と話しておられました。
そういう方が意外と多いのですよね・・・。
それから日系の若いメンバーの中には「自分は誰?・・・」と自分のルーツのことをとても真剣に悩み太鼓をやる中でその応えを探そうとしている人もいるんだ・・・ということも。
大大満足して分かれ難い思いでお別れしました。
明日もワークショップが待っているのでした。

         2日

今朝も幹生がフレンチトーストの上にフルーツをいっぱい乗せ、メイプル・シロップをかけたケベック独特の朝食を用意してくれました。
美味いッ!!!!
さんさ踊り2日目、そして泣いても笑っても最終日。
太鼓のリズムは皆努力して忘れずに覚えていてくれる。
午前中の後半で太鼓を付けて踊る稽古に入る。
太鼓の台数が4台と限られていたのでチェンジしながらなので他の人は手踊り、座っての太鼓リズム訓練と分担しながら進める。
それを順繰りに回していくのだ。
午後になり皆が疲れてきた頃を見計らって「田子神楽」と「西馬音内盆踊り」を踊る。
西馬音内盆踊りの寄せ囃子はアラシ太鼓でもやるようですが地元のを聞いたことがないということで、丁度CDを持っていたので聞いてもらったのです。
ついでに踊りも見てもらった次第。
すいぶん刺激になったようで、その後はさらに最後の仕上げへとラスト・スパート。
クリスチャンがおかしこ(道化)の役割を演じ、その導入で全員がいっせいに太鼓踊り、手踊りを踊り始めるいわゆる地元方式・・・ですね。
クリスチャンはダンサーなだけあってその雰囲気は堂に入ったものでした。
ゆっくりと皆をいざなうその踊りが決まっていました。
全体が輪になって一つになって踊る・・・短時間の中でこの難しい踊りを良くまあ根気強く覚えてくれたと私も胸が熱くなりました。
最後にお礼の交歓ををしあってワークショップは締めくくり。

今日はメンバーの中のもう一人の日本人、間由加里さんの陶芸工房で焼き物体験をさせてもらうことになっているのです。
彼女は数年前にカナダにやってきた人。
興味を持って始めた焼き物の勉強がその内に職業になり、今では結構人気が出て商売としても十分成り立っている・・・とか。
今は永住を考えているのだそうです。
その彼女の工房でロクロをまわして小鉢とピッチャーらしきものを製作させてもらいました。

私にとっては生まれて2度目の体験。
多いに緊張しましたが新鮮な体験でした。
それにしてもロクロ・・・思うようにゆかないものですね。
何でもその道に通じる・・・プロの道は厳しいものです・・・ということは大変なことなのだとシミジミ。
彼女をすっかり尊敬してしまいました。
そうそう、そこで彼女がすでに成型していた扇型のお皿に上絵付けをさせてもらったのですが・・・何にしようかとまよったあげくモントリオールの思い出にと昨日見た丘の上からの眺めを拙い筆で・・・描かせてもらったのです。
焼きあがった作品が日本に送られてくるのが楽しみ!
あっという間に2時間ほどが過ぎ急いでスタジオへ戻ってみると みんな待ちかねていてくれて最後の夕食会開始。

食べ物が終わった頃私は今回のお礼にと歌を歌いました。
「南部牛追い歌」
自分の家で飼っていた赤牛の思い出を話しながら・・・。
私の家は岩手ですから曲がりなりにも南部曲がり屋の構造になっていたこと、そこに一頭だけ牛を飼っていて赤ちゃんが生まれるのを何度も見てきたこと。
その赤ちゃんが大きくなると現金収入のために売られて行くこと。
その時の母牛、子牛の悲しい鳴き声・・・のこと・・・を話しながら歌ったのです。
言葉のわかる日本人の彼女たち、ミッシェル、幹生たちが涙をながしながら聞いてくれました。
それを見て私も目頭が熱くなり・・・何とも言えぬ雰囲気に包まれました。
そしてそれを境に歌と踊りの交歓が始まりました。
ミッシェルが民謡を歌い、アラシ太鼓の皆が声を揃えて鼓童の方から教わったという唄をお返しに歌ってくれました。
宴もたけなわという感じでワルツをカナダのケベック風に・・・私はクリスチャンと組んで・・・踊り、アイルランドのダンスを教えてもらい・・・時はズンズンすぎてとうとうお別れの時に。
フランス風の挨拶を交わし(カナダはフランス語を話しフランスの風習なのです・・・つまり挨拶は左のほほ同士を会わせてチュッっとキスしたような音を口でさせ右のほほ同士に移って同じくチュッ)お別れ。
郷に入っては郷に従え・・・ことわざ通りそんなことにも抵抗はなく心から名残を惜しんだ私でした。
幹生宅に戻る私とクリスチャン宅に戻るミッシェルと4人を乗せた車が出るのを太鼓や鉦で見送ってくれた彼ら、彼女ら・・・何時までも何時までも道路を追いかけて打ち鳴らして見送ってくれました。
隣が警察署であるにかかわらず、です。
その夜は洗濯機と乾燥機を使わせてもらい就寝12時。
本当に何気なく気を使って私の好きなようにさせてくださった幹生さんには、感謝感謝!です。

         3日 5時起床。
8時30分フライトだが出国手続きのことなどを考えて早めに飛行場へ。
再びシカゴ経由でポートランドへ。
ヴァレリーが飛行場に迎えに来ていてくれて一路彼女の家に舞い戻る。
その後はのんびりと過ごす。
カナダは寒いよ・・・と聞いていたが滞在中は好天が続き寒さなど一向に感じなかったのに無い戻ったポートランドの寒いこと寒いこと。
夜になってやっと暖房が入り少し体の緊張がほぐれる。
夕食はヴァレリー家族と一緒にマグロの刺身。
何だか一山越えた気分で久方ぶりにワインを口にする。