アメリカ・ワークショップ・ツアー報告 1

2005 Fall Workshop Tour
September−October


お世話になったヴァレリー、キミ姉妹

ツアー日記(1) 渡米からポートランド太鼓コンサート出演まで

2005年9月19日 いよいよアメリカ・ツアーに向けての出発の日、早朝からやや緊張。
朝7時45分の新幹線で角館駅を出発。
成田には昼過ぎに到着。
フライトはJAL便で5時55分だ。
延々と待つこと5時間。
この間にミッシェルが予約していてくれたチケット受け取りでのトラブルがあり(予約はアメリカン航空で受け取りはJALカウンターだったがために)予約していますというメモのみでの出発となった。
多少不安を抱えながらの出発となった。
機内はエコノミークラスなので身動きも取れない狭い座席だが私は結局食事以外は延々と眠って過ごしたのであまり気にならずにすんだ。
(おかげで時差ぼけはすっきり解消)
同日11時35分にサンフランシスコ空港に到着。
入国審査、セキュリティチェックも意外とすんなりと通り一旦荷物を受け取り、アラスカ航空カウンターで発券作業、チェックイン。
ポートランド行き搭乗ゲートで待つこと、待つこと6時間。
その内に予定されていた飛行機がキャンセルになるということで出発時間がさらに遅れる。
チケットのチェンジもアナウンスを聞き取ることができて何とかクリア(ホッ)。
結局予定時間よりかなり遅れて出発。
サンフランシスコからポートランドは約2時間のフライト。
ポートランド空港にはまだ会ったことのないアランという人が迎えに出てくれていることになっている。
ミッシェルはポートランド太鼓のコンサートのためにディレクターとして稽古で忙しくて迎えに出れない・・・のだ。
到着ロビーに出てみるとアランが紙に私の名前を書いて待ち受けていてくれたのですぐに確認。
後で聞いて見ると日本語が判らない彼のために奥さんがいろいろ手配してくれたとのこと。
一生懸命幾つかの日本語で私を歓待してくれた。
彼の車でそのまま皆が稽古をしているスタジオへ直行。
スタジオでは懐かしいメンバーたちが最終の稽古に余念がなかった。
合間に私へ笑顔を向けてくれる。
ミッシェルはオン・アンサンブルの仕事からこの秋にポートランド太鼓のアーティステック・ディレクターとしての仕事に切り替えたばかり。
その初仕事がこのコンサートを成功させることなので責任重大。
プレイヤーとしても殆どの新曲をこなさなければならないので神経が最大に張り詰めていたことだったろう。
ポートランド太鼓のリハ
それでも私と再会してほっとした様子。
そしてその場で最後のアンコール曲の稽古に。
その曲では私の出番も用意されていてその場で即興で皆の太鼓に合わせて踊ることに。
終わると皆も大喜びしてくれた。
いっぺんに皆との距離が近づいた感触で長旅の疲れも吹き飛ぶ。
稽古を終えて私はヴァレリーと息子のケンジ(二人ともポートランド太鼓メンバー)とともにヴァレリーの家に。
家では旦那さんのリチャードが出迎えてくれた。
彼の家には前回もステイさせてもらっているので2度目。
今回は2回に分けて計10日間ホームステイさせてもらう。
本当にありがたいことだ。
でも前回の時は彼は日本の青森市の大学で教鞭をとっていたので不在で、今回が初対面。
彼の用意してくれた夕食のマツタケご飯とオムレツをいただき、シャワーを使わせてもらって就寝。
本当に長い長い一日であった。
        20日

朝10時まで寝かせてもらう。
朝食においしいコーヒーとビスケットをいただく。(ケンジとリチャード、通称リックはコーヒーショップを経営していて自分でコーヒー豆を焙煎しているのだからこれが本当に美味しいのだ)
11時30分スタジオへ。
ポートランド太鼓スタッフと一緒にタイ・レストランで昼食。
1時からスタッフの皆(4人)にサーモン・ゴースト・ソングに私の振りつけた踊りを見てもらう。
今日の時点ではこの曲を作りヴァイオリンを演奏するザックと奥さんのアンがまだ到着していないのでCDでの踊りとなる。
(ザックとアンはこのポートランド太鼓を作った人。それまでスタッフとして皆をまとめていたのだが今度もう一度それぞれの目指す道のために大学で勉強をしようとアメリカ東部に移住。このコンサートが最後のコンサートになるので駆けつけてくることになっていた)
4人ともどんな踊りが展開されるか興味津々で待ち受けている。
(一人は日本人で和代という)
曲は6分くらいのものだろうか・・・終わると皆「良い・・・」と言って喜んでくれた。
「曲をとても良く理解してくれた」「ダイナミックなところと静かなところがしっかり現されていて、とても良くわかった」と。
素直に嬉しかった、そして安心した。
その後ミッシェルと「田子神楽」の稽古。
これは「Little Thunder Concert]つまり子供と親との鑑賞会のプログラムのための稽古。
日本の太鼓の歴史・・・という部分で太鼓と踊りを神楽で披露するのです。
稽古終了後ミッシェルと簡単なツアーの打ち合わせ。
その時にミッシェルからは「正平の踊りを見て、このコンサートのために頑張って今までたまっていたストレスが少し和らいだ」と感謝された。
なんだか胸がジーンと熱くなる。
夕方帰宅。
夕食は93歳になるというカリフォルニアに住むヴァレリーのお父さんが釣ったサーモン。
それが出来上がるまで私は裏庭で笛の稽古。
夕食後ヴァレリーとケンジは再び稽古に出発。
私はリックと滞在していたヴァレリーの妹キミとしばらく歓談。
話の成り行きから「そーらん節」と「津軽じょんから節」を踊って見てもらう。

        21日

8時半起床。
朝食後ヴァレリーの作品(彼女は日系の歴史にこだわったアート作品を作りつづけている人なのです)を見せてもらうためにエキスポ・センター・ステーションへ。
そこの場所は第2次大戦の時にポートランド周辺の日系人をキャンプに送るために一時仮収容させていた巨大なバラックの群れが立ち並んでいた場所でした。
そこの駅の一角とホームに彼女の作品がありました。
一つは大きな鳥居の群れ。
それには無数の真鍮(?)の札がぶら下げられていて風にシャラシャラとなって何ともいえぬ音を奏でていました。
それは仮収容されていた人たちの首にぶら下げられていた識別番号札をイメージしたもの・・・。
第2次大戦中の日系人たちの経験した理不尽な扱いや悲しみを奏でているようで、聞いているうちに何とも言えぬ物悲しささえ感じられてきました。
彼女の思いが強く強く迫ってくるようでした。
この鳥居が何本も建っていました
もう一つはプラットホームにありました。
これもその収容された人たちがなけなしの財産を詰め込んで住み慣れた我が家を後にした時のトランクと風呂敷包みをイメージしたもの。
風呂敷包みの模様には鉄線がデザインされていました。
腰掛けているのがヴァレリーの作品(ベンチになっているのです)
よく見なければ見落としてしまうほどのささやかな問題提起。
彼女の人となりを感じて、私はすっかり尊敬の念にかられました。
その後日本庭園を案内してもらいました。
それを創るために日本から沢山の職人さんたちがやってきたのだとか。
ポートランドの静かな名所でした。
ここには中越地震で被害を受けた長岡からその後贈られてきた10匹の鯉が池の中で泳いでいました。
こんなところに現在の日本とのつながりがあるんだ・・・と感慨一入でした。
午後劇場で照明、ライティング・シュート。
夜テクニカル・リハーサル。
コンサートが行われたニュー・マーク劇場の内部

        22日 午前、裏庭でウォームアップと笛の稽古。
昼食はやっと到着したアンやザック、和代、ミッシェルたちとダウンタウンのスクエアで。
昼は私の出番以外のテクリハのため楽屋で待機。
ずっと笛を吹いて過ごす。
夜、キュー・トゥー・キュー。
初めて生の演奏と合わせて踊る。
感動。
最初のサーモン・ゴースト・ソング・リハ
ザックとアン、見ていてくれた和代や他のメンバーも良かったと喜んでくれる。
特に客席で照明を付き合ってくれていたスタッフの人が大感激。
大きな声で「SHOHEI,GREAT!]と声をかけてくれる。
その夜は興奮で中々寝付かれなかった。
しかし心底嬉しかった。
        23日 午前、再度サーモン・ゴースト・ソングの音チェック。
昨日の稽古の結果、大太鼓の音にヴァイオリンの音が埋まって聞き取りにくかったからだ。
午後衣装を着けての通し稽古。
初めてガーナからのゲスト、オボーとそのグループのステージを見る。
シンプルだが力強い。
アンコール曲でポートランド太鼓、オボー、私3者のコラボレーションが実現。
中々エキサイティングだった。
そしてその夜8時からついに本番を迎えたのです。
出番前に
私は当然のことながら多いに緊張しました。
しかし感激も大きなものでした。
2年前プレゼントしてもらったCDを聞いてサーモン・ゴースト・ソングという曲に胸を打たれ、たった一言「この曲に振り付けをして踊っても良いですか?」と作曲者のザックにお願いしたら「良いですよ、ありがとう」と快諾をもらった。
それが予想もしないこんな形になって実現するとは・・・。
二年間の時の流れ、人間のつながりの不思議ささえ感じました。
踊った結果が感動をもって受け止めてもらえたので責任を果たせた思いと、踊っている本人が感動を味わえているその喜び。
舞踊家としての冥利に尽きる・・・幸せな瞬間でした。
終演後皆と一緒にロビーにでました。
沢山の方から良かったと口々に言ってもらえました。
こうして初日は無事に終えることが出来ました。
        24日

午前子供向けのコンサート「Little Thunder Concert]の通し稽古。
午後本番。
日本の親子劇場のような雰囲気で和気藹々としている。
最初に「ハンダナカヨ(叩きましょう!)」という曲を演奏後、日本の太鼓の歴史ということで「田子神楽の切り番楽」を私の踊りとミッシェルの太鼓でやり、引き続きアメリカの太鼓の歴史ということでミッシェルが最近作った「これから」という曲をやるのです。
これはとても明るく楽しい踊りと演奏の曲。
みんなとても気に入っているようでした。
オボーたちの時間、そしてスタッフメンバーによる楽しい太鼓にまつわるお芝居。
それぞれが役に扮し、太鼓奏者とはいえ皆さんとても演技が上手く客席を多いに沸かせていました。
最後は全員でのコラボレーション。(一般用のアンコール曲)
終演後しばし休憩、楽屋でリラックス。
そして8時から第2回目のコンサート開始。

        25日 コンサート最終日。
午後2時からの開演。
始めてみると4ステージがあっという間に過ぎ去ってしまった感じがする。
今日は皆最後だという雰囲気。
それまでの日々は準備準備で忙しく走り回っている感じだったが、今日は皆とても落ち着いている。
開演15分前にステージに集合。
恒例のウォームアップと開演前の意思統一がなされる。
スタッフのミッシェルやテリーサのスピーチ、最後となるアンやザックのスピーチ。
感極まって皆涙を流している。
当然のごとく皆気持ちがぐっと盛り上がり、舞台は一番リラックスして良い流れだったと思う。
私も同じ、安心して一番納得のいく踊りを踊れたと思う。
ザックやアンからは「サーモン・ゴースト・ソングのレベルが一段あがりました。ありがとう」と感謝された。
終演後オールキャストで
終演後太鼓の片づけが終わるとスタジオでキャスト・パーティということで出演者とその関係者でパーティ。
ポトラック・・・といってそれぞれが手作りの一品を持ち寄ってのパーティなのです。
多いに食べ、ジョークを言い、笑顔を交し合う。
思わぬ日本人の参加もあったり、ハワイのワークショップに参加していた青年に再会したり、本当に楽しい一時でした。
私は持っていった絵葉書を一人ずつに手渡して回る。
片言の英語で一生懸命説明しながら。
今回はまずはこの4ステージのコンサートでひとまずお別れ。
再び戻ってくる時はワークショップでまた皆に会える・・・別れを惜しみつつヴァレリーの家へ帰宅。
明日の出発に向けて荷物の整理。