コラム Vol.4

2012年4月1日



皆さま大変お待たせいたしました!

いや、待ってないか。いや、その前に忘れ去られていないか!?

前回のコラムでは次回のコラムは2年後って事はないだろう

という言葉で締めくくられていたと思うが、

その期待と言うか予想を超えた更新で御座います。

それだけ時間が経つのは早いという事ですね。

このコーナーでは主にバンドの事を書いておりますが、今回のコラムもバンドのお話。

サウスブロウの歴史について。

さて、冒頭でも時間が経つのは早いと書いたとおり、おかげさまでバンドも今年で15周年!

この15周年にのっかり今回の山手昌行のコラムを書くに至った訳です。

せっかくなので、僕なりに15年を振り返ってみたいと思います。

 

【バンド:GOGOブラザーズ結成!コピー編】

1997年に弟と二人で始めた音楽。

15年続けてこられたことは不思議なようでどこか必然的なものも感じます。

最初はただただ音楽が好きだった。

今も変わらないけれど、当時は慣れない楽器にさわったり

流行りのアーティストに憧れてコピーしたり、

友達同士との集まりや音楽の話をするのが楽しくて仕方なかった。

そしてライブ!それはもうぎこちなくて仕方なかった。

色んな曲をコピーしたりしました。

演奏スタイルもドラムやベースをMTRと呼ばれる

今でもう懐かしい機材を使用して録音したものに合わせて演奏。

そしてうちらが決まって悩む事。

それは誰の何をコピーするか?

これが決まらない。

決まるまで練習より長い時間を費やしたりしました。

そして大体はお笑路線へと話が盛り上がっていき、

結局何も決まらないというのがお決まりだった。

無論、バンド名もなかなか決まらず、結局兄弟でやってんだから

『GOGOブラザーズでよくね??』

と言う訳で決定。つけたのはチョー適当な僕。

弟はキーボード&コーラス、僕はボーカル。

うちらかなり痛々しかったけど当時はそれでも自信持ってやってました。

あの頃の根拠のない自信はどこから来るものだったろうか・・・。

会社の先輩や同僚、後輩からも混ざってもらい

次第に大きくなっていくGOGOブラザーズでした。

結成したその年、県南アマチュア音楽祭にテープ審査を経て出場が決定。

お客さんに「踊れ!」とか叫んだり、興奮した弟がキーボードを飛びこえる

ジャンプパフォーマンスしたり、見事な暴れぶりをみせたGOGOブラザーズ。

その時のライブビデオは誰にも見せられないし

自分で自分を見た時はあまりのカッコ悪さに愕然とした。

何が良かったのかわからないが審査員の特別賞をいただく。

秋田のドラマー、大間ジローさんからドラムのスティックももらった。

うちらのバンド、その時はドラムいませんでしたが。。。

それよりもなによりも、先輩んちでみんなで酒飲んでて

ライブの興奮冷めやらず的な盛り上がりで授賞式をすっぽかし、

のこのこ会場に戻ったら開場関係者に大目玉をくらってしまう。

礼儀のかけらも無い若き日のGOGOでした。

その後、僕は上京。結成から数カ月でGOGOブラザーズは活動停止を迎える事になる。

 

 

【GOGOブラザーズ再結成編】

僕が帰郷し長い沈黙を破ってGO!GO!ブラザーズ再結成。

この時点ではまだ弟と二人。地元豊岡で行われるドンパン祭りに出演するべく、

インターネット募集で秋田市から若いベーシストが参加。

その方の友人がギター上手で、県外の大学に行っていたのが

たまたま秋田に帰ってきているとの事で急きょ出てもらう事に。

そして後輩のキーボードも入りなんとか形になるものの、相変わらずドラムは不在。

演奏曲は「波乗りジョニー」他数曲。合同での練習は1回きりでした。

その他の演奏としてはまたまた地元公民館で弟と二人で交通安全チャリティー。

警察官の前で演奏。今思い出しても結構色々やってたなーって感じがしますが、

僕自身どんな音楽がやりたいのかなんてあまり考えてなかったし、

ちょうど模索していた時かもしれない。

そしてオン・ベースの『KAZU』が加入し3人体制に。

旧仙北町の某温泉駐車場で待ち合わせ。初対面となる。2002年11月も後半の頃だった。

そしてこの頃からオリジナル曲を作り始める。

理由はコピーだと曲が決まらないのでいっそのこと自分たちで作ったらどうか?

と言う話からGOGOブラザーズはコピーバンドから

オリジナル曲を中心に活動を始めるのであった。

そこから数は少ないものの色々なイベントライブに参加し経験を積めた。

僕にとって音楽やバンド活動をするにあたって

とてもいい経験&勉強になった時期でもありました。

何よりもベースのKAZUの加入のおかげだったんじゃないかなって

僕もそうだし、弟もそう感じているはずだ。

そしてその1年後。僕にとって運命的な企画が地元中仙で持ちあがった。

地元中仙にあるドンパルと呼ばれる施設のホールを使ってライブをやろう!

という当時の館長の発案で音楽好きの奴等が集まった。

そして会長が僕だったので色んな方や色んなバンドとの出会いがあった。

そこで一つのバンドとの出会いがあった。そのバンドのギターが『コーイチ』だった。

参加者全員で作り上げるステージがコンセプトで

ライブ本番までは結構な月日を費やしたが、

その間に聴くコーイチのギターサウンドに魅了されて行く僕でした。

そして、初オリジナル曲のエターナルワールドのレコーディングを経て

正式にバンドでギターをやってほしいと懇願しコーイチが加入したのが2004年だった。

交渉はここで書くほど簡単には行かなかったのだが

オリジナル曲を聴いてもらってそこから考えてもらって

ギターとして加入してくれた時は本当にうれしかった。

この後、僕はバンドでエレキギターをあまりさわる事が無くなり

現在では全くエレキギターは弾かず、アコースティックギター一本になる。

話は少しさかのぼるが2003年ドラムのばんり、ボーカルキーボードのユキが加入しており、

初めての正式な女性メンバーの加入で、始めた当初から考えると異例の大所帯バンドになってきていた。

このメンバーで初のホールライブを経験する事になる。

ホールライブが終わりベースのKazuが脱退。

その後僕自身も目指すバンドスタイルや今後の活動の仕方、

また自分自身のレベルを上げたいと強く思うようになり

事実上の脱退とまでは行かないもののバンドを離れたソロ活動が中心となる。

一人でのステージとかは本当に怖かったがこの頃から少しずつステージの感じとか、

MC等もかなり勉強できたんだって当時を振り返っています。

 

【サウスブロウ誕生編!】

その後、ボーカルの僕、ギターのコウイチ、ベースKazuが

不在のまま進行していったGo!Go!!ブラザーズ。

僕自身も体調を大きく崩したりして精力的な音楽活動はできずにいた。

しかしバンドに対する想いも強くメンバーを再編成。

そしてまた原点に戻るべく、弟と二人体制になり現在のバンド名『サウスブロウ』に改名。

バンド活動を再スタートしたのだった。

バンド名は僕がつけたのだが、地域性とバンド内の関係を出したかったので

「サウス」は南で、このバンドでは県南を表しています。僕ら県南なので。

そして「ブロウ」。これはブラザーの省略形です。つまり「県南の兄弟」という意味ですね。

ちなみに「ブロウ」はスラングなんです。

仲がいいもの同士が使う言葉で、例えばオマエとかヤツなんかにも当てはまります。

要は、気軽に友達感覚な親しみがあればなって思ってでした。

あとは僕の大好きな『打撃』という意味もありまして、パンチが効いたサウンド!

という意味も実は込められていたのでした。

そんな訳で僕らがバンド名を改名して臨んだライブは秋田市アルヴェのバンド博覧会。

意外にもセットが豪華で、照明の他にバックには大きい液晶ビジョンがあり、

本格的なステージのなかで、活動再開したのであった。

このライブを皮切りにオンベースのKazuがバンドに復帰。

翌年の2006年、ギターのコウイチもバンドに復帰。

そしてドラムヨースケが加入。僕が『一緒にバンドやろう!』

と、声をかけさせていただいていたが、なかなか都合があわず、この言葉の一年後に

ヨースケからの『まだやらないの?』の言葉で、待望のドラムが加入!

ヨースケの加入で現体制になる。

ようやく皆さんご存知のサウスブロウが誕生したのであります。

ここからまた数は少ないものの色んな曲も生まれましたし色んなライブもして来ました。

どれも想いで深いステージで聴いて下さるお客様から沢山の笑顔と元気をいただけたんだなって

今振り返ってもしみじみと思い出されます。

バンドって楽しいな。

音楽って素敵だな。

って改めて感じる事が出来るのもバンドメンバーのおかげだし

僕らを支えてくれたお客さん一人一人のおかげです。

これからも楽しく、面白く、カッコよく!

をバンドのスローガンにして活動していきたいと思います。

放課後、みんなして集まってバカしゃべりしたり、なにかに夢中になったり

そんな気持ちをいつまでも持ち続けたいなって

そんなふうに思います。

そんな訳でだいぶ長くなりましたがバンドも今年15周年!

新たな楽曲をたずさえて、バンドの楽しさを全体から出せるバンドを目指して!

オリジナル曲に自信を持って演奏できるアマチュアバンドとして

みんなと一緒に走り続けていきたいと思います。

これからもよろしく!!

今回のコラムはこの辺で。