はてさて、私はフェミニストなのかもしれないが、男尊女卑主義者かもしれない・・女性には頭が上がらないことも多いし、なんと近視眼的であるなとため息をつくこともある。が、総じて専任させた場合女性の方が高い能力を示すことが多いと感じているし、またそれ以外の感想もたくさんある。
いや、そんなことはどうでもいいのだ・・いくら理屈を積み重ねようと肉体的な違いがあるというのは隠しようの無い事実であるし、おそらく半永久的に女性側から更衣室を一緒にしようとかトイレも同一にしようとか風呂場も協同でなどという意見は出てこないだろうと思う。男性もブラをしろとか、女性に男性用のパンツをはく権利をなどと叫ぶ人もまず出ないだろう・・趣味でする人にはまぁご勝手に、としか言えないが・・
さて、別のページで私は幼時の体験としてのおばちゃん軍団の小用の音の大きさに愕然としたと述べた・・
長じて物理学なぞをかじるようになり(いや学校で習わさせられたというべきか)、つらつらと考えた結果、男女の小用の排泄時に生じるインピーダンスマッチングには大きな違いがあるのではないかと考察するに至った。この論はあくまで頭上の空論であり、理論的なバックボーンを整えるようなことはしていないので、単なる思い付きの一種ではあるのだが・・もちろん被験者を募っての実験などというものはしていないし統計手法的なアプローチも取ってはいない・・
さて、私が幼いこと愕然とした女性の小用時の音の大きさに関し、いくつかの理由が考えられる。まぁ世の中一つの理由だけで事が成り立っていることは殆ど無いので当然である。それに考えるだけなら当人の腹が減る程度で誰にも迷惑は掛けんだろう。ここを覗いているあんたの場合はあんたの自立的行動の結果だから、こちとら責任は取れんわなぁ・・
これはさもありなんと思われる。男性の場合、その構造から容易に位置調整が可能であるし、また、尿道とその周辺の随意筋肉の割合が高いことから尿量自体も比較的コントロールしやすい。
これも有り得る。が計測しうるチャンスを持たないため検証は不可能(私の立場では・・)。まぁこの尿道の短さゆえ膀胱炎の罹患率も高くなっているのは不幸である。尿道の太さの検証もまた出来ていない。が、その形態から推測することは可能かと思われる。というより男性の方が細くなりやすい形態であると言うべきか・・まぁ前立腺肥大などは論外であるが・・
これもまたありうると思われる。とくに明示的に尿道口を解放するような調整をしない限りこの現象は発生するであろう。ちょうど男児のおちんちんの皮が余った部分によって同一の現象が発生するのを男性諸氏は記憶しておられる事と思うがいかがであろうか。(まぁ長じてからでも割礼や包茎手術をしていないばあい、プールで泳いだ後などにはなお確認可能であるだろうが・・)
インピーダンスとは狭義には交流回路に於ける抵抗様の性質ということが出来るが、広くとらえた場合、異なるエネルギー系同士でのエネルギー伝達のスムーズさの逆数と言える。故に大概の物理現象が等価回路として電気回路に置き換えて説明され得る。
さて、この場合閉鎖空間である体内から一定の圧力と速度を持って解放空間たる外部に流体エネルギー伝達がなされる状況として表現可能である。
男性の場合構造的にはまさにホースであり、異種空間のインターフェースは不連続であると言える。これはホースによる散水で容易に経験できるが解放空間に対してエネルギーはスムーズには伝達されずほとんど拡散を伴わない放水となる。この場合、ホース端面から内部に向かってエネルギー反射が生じる。これは当事者には相当の抵抗感として感じられるものと思われる。この抵抗をかき分けてするのが気持ちいいという意見も当然あろうかと思われるが、他人の感覚までは実感できないので個々に判断されたい。
さて、女性の場合構造的には男性よりはるかに解放区間に対して親和性の高い形状をしている。この場合先ほどのホースの例で言うと先端に拡散用の漏斗を取り付けたような具合となる。このばあい、解放空間に対してスムーズなエネルギー伝達がなされ、その結果としてより拡散した放射となるのではないかと推察される。こればかりは女性のご意見を伺うしか無いが、抵抗を押し分けて放射するというような実感はあまりないのではないであろうか。その結果拡散度の高い放水となり、便器等への打撃音を拡大させる要因となっているのではないかと推察される。
もちろん水それ自体が空中等では互いにくっつき会う性質があるため、いったん拡散しそうになってはまた集合しようとして回転運動を伴い、前出の要因と複合してトータルで音の大きい状況を作り出すのであるとは思われるが。
さて、諸々の原因を集合させると、どうしても女性の場合音が大きくなりがちであること、そして拡散しやすいであろう事、その結果として尻まわりと呼ばれる現象を生じせしめやすいであろう事が推察出来る。なんとも難儀な現象であるが、別掲の男性ゆえの悩みと併せて考えるに、神とは人間をそれぞれの悩みと楽しみを与えたもうたものだと感心する。